京都 向日市文化資料館 「六人部暉峰の世界」展

長岡天満宮の後、向日市にある向日市文化資料館に行きました。

こちらでは「日本画家 六人部暉峰の世界」展('21.11.6~12.5まで。入館料無料)が開催されています。
サブタイトルに「竹内栖鳳門の知られざる俊英 初の回顧展」とあったので、栖鳳のお弟子さんの展覧会なんだと思って行ったのですが、六人部暉峰(むとべきほう)さんのことを知ってびっくりというか、ちょっと衝撃を受けてしまいました。

六人部暉峰(明治12-昭和31)は、代々向日神社の神官を務めている六人部家のお嬢さんだったようです。
最近、研究が進んで暉峰のことが明らかになってきたところで、詳細はまだはっきりしていないところもあるようですが、14歳頃、竹内栖鳳に入門しますが、18歳で栖鳳との子どもを妊娠。
その後も栖鳳との間で妊娠・出産を繰り返し、結局、男児6人女児1人の計7人の子どもを成したそうです。
男の子は全員栖鳳の知人のところに養子に出され、女の子1人のみ手元で育てたみたいですが、その女の子も5歳で早世。
暉峰の作品は、展覧会で入賞したり、皇室の御用品に選ばれるほどの実力だったようですが、展覧会への出品も15歳から23歳頃まででストップ。
その後は、趣味程度でしか描かなかったそうです。
栖鳳は晩年、療養で行った湯河原を気に入り、そこにアトリエを造り暮らしましたが、湯河原のアトリエに暉峰も一緒に住み、画業の手伝いを含め身の回りの世話をしたそうです。
栖鳳のしたことは、今ならセクハラ・アカハラ・パワハラですよね。
上村松園の息子の父親は、師匠の鈴木松年ではないかという説がありますが、栖鳳、お前もか!という感じで幻滅しました。
松園は画家として大成しましたが、暉峰はいくら才能があっても7人も子どもを産まされたら画業どころではないですし、多くの栖鳳の門下生の目もあり、画業を続けることは困難だったと思います。
栖鳳には妻もいたので、栖鳳は2人の女性とその子ども達の人生をも狂わせたといえるでしょう。

暉峰の作品は、栖鳳の絵を模写したようなのが多くて、暉峰自身の個性はあまりよくわかりませんでした。
でも、桜の幹など、しっかりとした筆致で、かよわい線の絵ではありませんでした。
栖鳳さえきちんとしていれば、有名な画家になっていたかもしれないのにと思うと残念です。
ただ、栖鳳は湯河原で亡くなり、京都の金戒光明寺に葬られますが、暉峰は正妻に負けじと思ったのかはわかりませんが、2年後に湯河原の保善院というお寺に、栖鳳の筆と密かに集めていた爪を埋めて、筆塚と爪塚を建立したそうですから、そんなに弱い性格ではなかったのでしょう。
その強さが画業の方に向かっていればと思うと重ね重ね残念です。
展覧会には、暉峰の作品だけでなく、栖鳳の作品も何点か出展されていました。
栖鳳の私生活はサイテーですが、絵はやっぱり上手い。
暉峰自身もそう思っていたかもしれませんね。
栖鳳への怒りとともに、この時代の女性の地位の低さにも思い至る展覧会でした。

資料館は常設展示もあります。
こちらは石室の天井石だそうです。
この辺りは古墳も多いですからね。

向日神社の境内には、暉峰さんのご実家の六人部家の家が神社の入口近くにありました。
ご実家も悔しかったでしょうね。
向日市文化資料館
住所:京都府向日市寺戸町南垣内40-1 TEL:075-931-1182
開館時間:10時~18時(入館は17時30分まで)
休館日:月曜(祝日の場合は開館し翌日休館)、毎月1日(1日が土・日・月の場合は火曜休)、年末年始(12/28~1/4)
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