奈良県立美術館「ウィリアム・モリス」展
奈良国立博物館に行った日に、奈良県立美術館にも行きました。
だいたい奈良博と会期が重なっているので、県美の展覧会も9月中旬まであると思っていたのですが、気が付いた時にはもう既に終わっていました。スミマセン。
ということで、今回は終了した展覧会の紹介になります。

奈良県立美術館では「ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡」展('21.6.26~8.29まで。観覧料1200円)が開催されていました。

この展覧会は19世紀に活躍したデザイナーであり、詩人であり、芸術家でもあるウィリアム・モリスのデザインを、育った環境の写真やモリスとその仲間による作品を通して、その軌跡をたどる内容だそうです。
ウィキペディアの引用やネットからの情報を含めて、まずはウィリアム・モリスについて書いておきます。
少し長いですが、知っている方はご勘弁を。
写真は全てチラシからの引用です。

ウィリアム・モリスは、1834年に証券仲買人の子としてロンドン近郊のウォルサムストウに生まれます。
1840年に一家でウォルサムストウからエピングの森の近くに引っ越しして、この地で幼少期を過ごしました。
父はモリスが13歳の時に亡くなり、父の没後の1848年に家族と一緒にウォルサムストウに戻り、ウォーター・ハウス(現ウィリアム・モリスギャラリー)で暮します。
父は投資により富を築いていたので、父の没後も一家は生活に困ることはなかったようです。
モリスは神学者を目指し、オックスフォード大学に入学。
そこで、生涯の友になるエドワード・バーン=ジョーンズと知り合います。
2人はラスキンの著書からラファエル前派のことを知り、バーン=ジョーンズとフランス旅行に行った際に芸術家になることを決意。
モリスは建築事務所に就職しフィリップ・ウェッブと友人になり、その後、バーン=ジョーンズが師事していたラファエル前派の画家・ロセッティの門下生になります。
ロセッティが最初に見つけたモデルのジェイン・バーデンをモリスが見初め、1859年に2人は結婚。
翌年に新居のレッド・ハウスに移住します。

このレッドハウスは、建築図面をウェッブが、内装や家具はモリス、ステンドグラスや絵をバーン=ジョーンズが担当して造りあげます。
ジェインがレッド・ハウスは寂しいからということで、数年で引っ越しするのですけどね。
ですがこれを契機に、仲間たち7人の共同出資による壁面装飾、装飾彫刻、ステンドグラス、金属製品、家具の5つのジャンルを総合生活芸術として活動するモリス・マーシャル・フォークナー商会(後のモリス商会)を立ち上げ成功します。
1871年には、ロセッティと共同で1871年にケルムスコット・マナーを別荘として借ります。
ここでモリス一家とロセッティが一緒に住んで、不眠症のロセッティをジェインが看病します。
この家を契約後、なんとモリスはすぐにアイルランドに行ってるのですよね。
なので、この家には最初ジェインと娘2人、ロセッティだけで住んでいたのです。
元々、ロセッティがジェインをモデルとして見つけた時から2人は惹かれ合っていたといわれていますし、モリスと結婚後もジェインはロセッティのモデルをつとめていて、以前から三角関係ではあったようですが、この時モリスは何を考えていたのやら。
部屋の見取り図を見ると、ジェインの部屋とロセッティの部屋の間にモリスの部屋がありますが、モリスの部屋が一番小さい。
3人は話し合い、ロセッティが共同賃貸をやめて、この奇妙な同居は終わったみたいですが、ジェインはロセッティが死ぬまで交流をしていたみたいです。
それでもモリスとジェインは離婚をしなかったのですから、以前、ラファエル前派展の時にも書きましたが、ジェインは強い女性のようですね。
1878年モリスはハマースミスに転居しますが、その家をケルムスコット・ハウスと名付けます。
モリスはケルムスコット・マナーを離れてしまいますが、ケルムスコットのことをかなり愛していたのでしょうね。

モリスは晩年に、美しい活字で美しく装丁された「美しい本」をつくっています。
今回の展覧会で、私が一番気に入ったのがこの装飾本です。
わかりやすいながらも美しい字体に、挿絵と背景の装飾、全部のページを見たいと思いました。
日本語だったら更に良かったのですけどね(笑)
1896年、モリスはケルムスコット・ハウスで亡くなります。
今回、モリスゆかりの地名や建物の名称を書いたのは、写真家・織作峰子さんが撮った写真の展示があったからです。
その写真を見て、レッドハウスやケルムスコット・マナーを実際に見に行きたいと思いました。
展覧会では、映像と織作さんの写真とモリスの作品とで、モリスの生涯をかる~く紹介してましたが、私生活を含めてモリス自身を紹介したかったのか、モリスの作品を伝えたかったのかが曖昧で、内容的には少し物足りなさを感じました。
モリスの創作活動をメインにしたいのであれば、ジェインとロセッティのことを触れる必要はありませんし、モリス自身のことを伝えたいのなら浅すぎます。
ちょっと中途半端でした。
でもまぁ、あまり深く考える必要なくきれいな写真や作品を楽しめるので、夏向けの展覧会としてはよいのかもしれませんね。
ところで、今晩(9/8)、2回目のワクチンを接種してきました。
念のため、今日は早めに休みます。
皆さまのところに、もし訪問できなかったらすみません。
また後日行かせていただきますね。
奈良県立美術館
住所:奈良市登大路町10-6 TEL:0742-23-3968
開館時間:9時~17時(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜(祝日の場合は開館し、その翌平日休館)、年末年始(12/28~1/4)、展示替え期間
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だいたい奈良博と会期が重なっているので、県美の展覧会も9月中旬まであると思っていたのですが、気が付いた時にはもう既に終わっていました。スミマセン。
ということで、今回は終了した展覧会の紹介になります。

奈良県立美術館では「ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡」展('21.6.26~8.29まで。観覧料1200円)が開催されていました。

この展覧会は19世紀に活躍したデザイナーであり、詩人であり、芸術家でもあるウィリアム・モリスのデザインを、育った環境の写真やモリスとその仲間による作品を通して、その軌跡をたどる内容だそうです。
ウィキペディアの引用やネットからの情報を含めて、まずはウィリアム・モリスについて書いておきます。
少し長いですが、知っている方はご勘弁を。
写真は全てチラシからの引用です。

ウィリアム・モリスは、1834年に証券仲買人の子としてロンドン近郊のウォルサムストウに生まれます。
1840年に一家でウォルサムストウからエピングの森の近くに引っ越しして、この地で幼少期を過ごしました。
父はモリスが13歳の時に亡くなり、父の没後の1848年に家族と一緒にウォルサムストウに戻り、ウォーター・ハウス(現ウィリアム・モリスギャラリー)で暮します。
父は投資により富を築いていたので、父の没後も一家は生活に困ることはなかったようです。
モリスは神学者を目指し、オックスフォード大学に入学。
そこで、生涯の友になるエドワード・バーン=ジョーンズと知り合います。
2人はラスキンの著書からラファエル前派のことを知り、バーン=ジョーンズとフランス旅行に行った際に芸術家になることを決意。
モリスは建築事務所に就職しフィリップ・ウェッブと友人になり、その後、バーン=ジョーンズが師事していたラファエル前派の画家・ロセッティの門下生になります。
ロセッティが最初に見つけたモデルのジェイン・バーデンをモリスが見初め、1859年に2人は結婚。
翌年に新居のレッド・ハウスに移住します。

このレッドハウスは、建築図面をウェッブが、内装や家具はモリス、ステンドグラスや絵をバーン=ジョーンズが担当して造りあげます。
ジェインがレッド・ハウスは寂しいからということで、数年で引っ越しするのですけどね。
ですがこれを契機に、仲間たち7人の共同出資による壁面装飾、装飾彫刻、ステンドグラス、金属製品、家具の5つのジャンルを総合生活芸術として活動するモリス・マーシャル・フォークナー商会(後のモリス商会)を立ち上げ成功します。
1871年には、ロセッティと共同で1871年にケルムスコット・マナーを別荘として借ります。
ここでモリス一家とロセッティが一緒に住んで、不眠症のロセッティをジェインが看病します。
この家を契約後、なんとモリスはすぐにアイルランドに行ってるのですよね。
なので、この家には最初ジェインと娘2人、ロセッティだけで住んでいたのです。
元々、ロセッティがジェインをモデルとして見つけた時から2人は惹かれ合っていたといわれていますし、モリスと結婚後もジェインはロセッティのモデルをつとめていて、以前から三角関係ではあったようですが、この時モリスは何を考えていたのやら。
部屋の見取り図を見ると、ジェインの部屋とロセッティの部屋の間にモリスの部屋がありますが、モリスの部屋が一番小さい。
3人は話し合い、ロセッティが共同賃貸をやめて、この奇妙な同居は終わったみたいですが、ジェインはロセッティが死ぬまで交流をしていたみたいです。
それでもモリスとジェインは離婚をしなかったのですから、以前、ラファエル前派展の時にも書きましたが、ジェインは強い女性のようですね。
1878年モリスはハマースミスに転居しますが、その家をケルムスコット・ハウスと名付けます。
モリスはケルムスコット・マナーを離れてしまいますが、ケルムスコットのことをかなり愛していたのでしょうね。

モリスは晩年に、美しい活字で美しく装丁された「美しい本」をつくっています。
今回の展覧会で、私が一番気に入ったのがこの装飾本です。
わかりやすいながらも美しい字体に、挿絵と背景の装飾、全部のページを見たいと思いました。
日本語だったら更に良かったのですけどね(笑)
1896年、モリスはケルムスコット・ハウスで亡くなります。
今回、モリスゆかりの地名や建物の名称を書いたのは、写真家・織作峰子さんが撮った写真の展示があったからです。
その写真を見て、レッドハウスやケルムスコット・マナーを実際に見に行きたいと思いました。
展覧会では、映像と織作さんの写真とモリスの作品とで、モリスの生涯をかる~く紹介してましたが、私生活を含めてモリス自身を紹介したかったのか、モリスの作品を伝えたかったのかが曖昧で、内容的には少し物足りなさを感じました。
モリスの創作活動をメインにしたいのであれば、ジェインとロセッティのことを触れる必要はありませんし、モリス自身のことを伝えたいのなら浅すぎます。
ちょっと中途半端でした。
でもまぁ、あまり深く考える必要なくきれいな写真や作品を楽しめるので、夏向けの展覧会としてはよいのかもしれませんね。
ところで、今晩(9/8)、2回目のワクチンを接種してきました。
念のため、今日は早めに休みます。
皆さまのところに、もし訪問できなかったらすみません。
また後日行かせていただきますね。
奈良県立美術館
住所:奈良市登大路町10-6 TEL:0742-23-3968
開館時間:9時~17時(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜(祝日の場合は開館し、その翌平日休館)、年末年始(12/28~1/4)、展示替え期間
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