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明智光秀考

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 大河ドラマの「麒麟がくる」にはまって、ドラマが始まってから今までに、岐阜、坂本、亀岡、福知山のドラマ館や光秀ゆかりの地を巡ってきました。
 今回はその総集編として、明智光秀の人物像について考察したいと思います。
 とはいっても、あくまで独断と偏見に基づく私の想像ですけどね。
 
 ドラマを見るまで光秀のことは、信長を討った謀反人というぐらいしか思い浮かびませんでした。
 実際にも光秀の史料は少ないようで、特に信長と出会うまでの前半生は史実としてはあまり確かなことがわかっていないようです。

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 長谷川さんが演じた光秀像は、人に誠実で、戦のない世の中をつくるという理想に邁進するという姿で描かれていました。
 「人情味のある良い人」という感じでしたが、実際の光秀は仕事に私情はあまり挟まない官僚型の仕事人という印象を私は受けました。

 例えば比叡山の焼き討ち事件、ドラマでは信長の勢いに負けて光秀は嫌々行うという設定でした。
 実際はこの時光秀は足利義昭の奉公衆として信長軍に加勢したのですが、比叡山周辺の豪族に信長軍に協力するよう工作していました。
 その時、味方になってくれる豪族には兵や軍備の提供をすることを約束しますが、味方にならない豪族に対して「是非ともなで切りにつかまつるべく候」と書かれた書状が残っています。
 味方の豪族にも、他の人に信じてもらうためとしていますが、子どもを人質に出すように伝えています(和田家文書「明智光秀書状」)。

 なで切りにすると書くなんて、ちょっと怖いと思いませんか?
 それが狙いだったのかもしれませんが。
 それに、自分は信じているが、他の人が味方になったことを信じないかもしれないから人質を出せとは、うまい言い方ですが、「なで切り」と同じ書状に書かれているので、人質を出さないと信じてもらえないかもと私なら思ってしまいそうです。

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 光秀が造った福知山城の城壁には、転用石がたくさん使われていましたが、仏像の礎石や燈籠の台なども多かったんですよね。
 信仰心が厚い人が、そのようなものを城壁に使うとは思えない。
 比叡山の焼き討ちも、光秀の判断では必要だと思ったので、躊躇なく行ったのではないかと思います。
 目的をスムーズに達するためには、手段をあまり選ばなかった人だったのではないでしょうか。

 逆に、益になると思えば、労や金銭の出し惜しみをしないところもあります。
 福知山で治水や地子銭免除などを行いましたが、丹波平定を一刻も早く行うために、足場である福知山の土地の被害を軽減させ、人々の支持を得た方がうまくいきやすいですもんね。
 光秀はそういった計算ができる人だったのではないかと思います。

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 領民たちから慕われていた一方、光秀の臣下にはそれほど有名な人が多くいないように思えます。
 明智左馬助(秀満)、斎藤利三ぐらいでしょうか。
 左馬助はドラマでも若い頃からの身内扱いの部下ですが、後から臣下になったのは利三ぐらいしか思いつきません。
 光秀ぐらいの人なら、優秀な家臣がもっといてもおかしくないと思うのですけどね。
 多分、野心満々で人たらしの秀吉と違って、光秀は信長を頭にして働く自分としてしか認識していなかったのではないでしょうか。
 なので、人付き合いも仕事の同僚感覚の人が多く、細川藤孝や筒井順慶も本能寺の変のあと、光秀に与さなかったのかなと想像しました。
 2人とも同じく有能な仕事人そうな印象なので、仕事仲間としては気は合いますが、計算もできる人ばかりなので光秀と行動を共にした未来が見えなかったのではないでしょうか。
 あるいは見え過ぎたのか。

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 福知山ミュージアムで、本能寺の変の原因説を一覧にした紙を配布されていましたが、説はいろいろあり、どれもありそうだなと思いましたが、本能寺の変は用意周到・準備万端に整える光秀らしくない行動のように思いました。
 後のビジョンがあまりにも薄い。
 多分、自分がトップに立つつもりはなく、誰かをトップに立て自分はまた参謀になるつもりだったのでは?と思います。
 そのトップとは細川忠興ではなく、やはり徳川家康だったのかなぁ。
 秀吉とは気が合わなさそうだし、他に見当たらないんですよね。
 そうか、忠興をトップに立て、光秀と藤孝の2人で忠興を支えていくつもりだったのか。
 そうなると、秀吉や家康など並みいる武将を敵にまわすことになるため、藤孝が怖気づいてしまった、ということも有り得ますよね。
 いろいろ想像が膨らみます。

 自分の目的が達せられなかった光秀は、無念だったのでしょうか?
 私は、そうは思えません。
 何より目的に向かってまっすぐ進む生き方をしてきた光秀が、その目的自体に疑問を持った時、根本を正そうとして起こした行動が本能寺の変だったのだと思います。
 その行動に後悔はなかったと私は思います。
 だって、あのカリスマ信長さんを1人で討ったんですもの。
 
 光秀ゆかりの地は、あと本能寺、山崎の合戦周辺で終わりです。
 本能寺はしょっちゅう京都に行って傍を通っていますし、山崎周辺は子どもの頃、長岡京市に住んでいたことがあり、勝龍寺公園にも天王山にも何回も行っているので、多分すぐには行かないかな。
 なので、光秀に関する私のブログ記事も今回で終了です。
 長い間、お付き合いをありがとうございました。
  
ついサボってしまいますが、ポチポチっと押してもらえて頑張らなければと思えました。
ありがとうございます。 
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