奈良国立博物館②「お水取り」展と「講話と現地解説会」
もっと早くに書くつもりだったのですが、なんやかやとモタモタしている内に時が過ぎてしまいました。
やっと記事を書くまとまった時間ができました。
文章多めで長くなりますが、お付き合いを。

もう展覧会は終わってしまったのですが、奈良国立博物館では聖林寺展と同時開催で、毎年恒例の「お水取り」展('22.2.5~3.27まで。観覧料700円)が開催されていました。
お水取りとは正式名を修二会といい、東大寺の二月堂で心身を清めた僧侶(練行衆)11名が、十一面観音さま(大観音・小観音)の前で罪過を懺悔し(悔過)、天下安穏などを祈願する法会です。
752年に実忠和尚が始めてから、一度も絶えることなく続いているそうです。

奈良国立博物館では、そのお水取りに関する展覧会を毎年開催しています。
今回は特別企画として、東大寺の僧侶・佐保山暁祥師の講話と現地解説会が開かれ、それに当たりましたので参加してきました。
お話してくださった佐保山師は、東大寺の塔頭である宝珠院のご住職で、お水取りの法要・修二会の練行衆に13回選ばれ、今年(2022年)も配役され、行法を行われたそうです。
今回の展覧会の展示物と絡めて修二会についてお話してくださったのですが、まだお若いお坊さまですがお話が上手で感心しました。
さすがは天下の東大寺の僧侶ですね。
その東大寺の僧侶なのですが、あんなに大きなお寺なのでたくさんの僧侶がいらっしゃるのかと思っていたら、長老6名、塔頭住職13名の計19名なのですって。
修二会では11名の練行衆が必要なので、東大寺の僧侶だけでなく、たくさんある同宗派の末寺からも毎年数名選ばれるそうです。
修二会の行法は厳しそうなので、練行衆に選ばれると大変だろうなと思っていたら、「東大寺に生まれたからには修二会は避けては通れない」とおっしゃっていたのが印象的でした。

練行衆には、それぞれの役職に応じてするべきことや覚え書などが書かれているマニュアルのようなものがあるようで、展覧会には「二月堂和上日記」や「大導師覚悟記」、「新入心精進之事」などの書が展示されていました。
ちなみに「和上」や「大導師」は、練行衆の上位役職名です。
上位役職は四職(ししき)といい、和上・大導師・咒師(しゅし)・堂司(どうつかさ)の4つの役配があります。
後の7名は平衆で、そこにも各名称と役割があります。
修二会は四職と平衆とで行われます。
展示されていたのは江戸時代のものでしたが、練行衆に選ばれると各自そういったマニュアルのようなものを模写されるのか、佐保山師も和紙で作った書をお持ちで、見せてくださったのですが、墨で書かれていて、余白に注意する点などが細かく書かれていました。
書自体の色も変わり、かなり使いこんでいることが見てとれます。
展示されていた書も単なる文化財ではなく、このように使われ、伝え続けられているのですね。
展覧会では、練行衆が纏う衣装(紙衣)や履物(差懸)なども展示されていたのですが、佐保山師が実際に身につけられた紙衣(かみこ)や差懸(さしかけ)などを持ってきてくださいました。
布の裏地が付いている和紙の衣は、すごくしっかりしていましたが、かなり重たいそうです。
それに、差懸も持たせてもらいましたが、結構厚底でこれも重い。
なんか衣装を身に纏うだけでも体力がいりそうでした。
佐保山師は、東大寺の方も案内してくださいました。
一般では入れないところも案内していただき、興味津々です。

この日はあいにく雨の日で、屋根のあるところを歩いたので、花の近くには行けなかったのですが、南大門の近くに桜かな(?)が咲いてました。

行った時はソメイヨシノはまだでしたが、今ならきれいでしょうね。
ところで、東大寺の大仏殿は過去に2度焼失しています。
2回目の焼失以降、仮の仏殿が建てられたそうですが暴風で倒壊し、約100年間野ざらし状態だったそうです。
それを公慶上人という1人の僧侶が嘆き、再建を目指して頑張って資金を集めたのですが足りなかったところ、徳川綱吉と母の桂昌院の助力で再建できたそうです。
ですが、以前の大きさには造れなかったようで、少し小さく造られています。
現在の大仏殿の後ろ側には、以前の大きさがわかるように、砂利が敷かれてました。
大仏殿の中も、内陣というか、多分、お身拭いの時に上がれるところまで案内してくださり、大仏さまのお顔を間近に拝むことができ、感激して少しうるっときてしまいました。
やはり廬舎那仏の御威光はすごかったです。

こちらは、チラシにあった二月堂縁起上巻の一部なのですが、実忠和尚が修二会の行法中に全国の神さまの名前を読み上げ参集を願ったところ、若狭国の遠敷明神だけが川で魚釣りをしていて遅刻されたそうです。
そのおわびに御本尊にお供えする霊水を若狭から送ると言って、二月堂の下から祈ると、黒と白の鵜が飛び立ちそこから霊水が湧きだしたそうです。

それがこちらの閼伽井屋(あかいや)の中にある若狭井戸です。
というわけで、閼伽井屋の屋根には鵜(う)がいました。

上に見えるお堂が二月堂です。

こちらは修二会の間、練行衆が住まわれる参籠宿所です。
どちらも相部屋だそうですよ。

右手の階段を上って二月堂に入られます。

二月堂の十一面観音さまは、大観音(おおかんのん)、小観音(こがんのん)の2仏いらっしゃって、どちらも絶対秘仏ですが、展覧会では小観音を写したのではないかと言われている絵がありました。
また、二月堂も火災に遭っているのですが、小観音さまを安置した厨子を持って逃げたという文書が残っていることから、小観音さまは厨子ごと持ち運び可能なサイズなのだと思います。
大観音さまの方は、博物館の仏像館に光背だけが展示されており、それから類推しても高さ140~150㎝ぐらいはあるのではないかと思います。
かなり大きいですよね。
大観音さまは、十一面観音ではなく聖観音の可能性もあるとのことでしたが、誰も見たことがないとのことでしたので確認することは難しいでしょうね。

佐保山師はいろんなお話をしてくださいまして、解説会の後、もう一度展覧会場に戻って展示品を観ると、内容がよくわかり大変面白く(興味深く)観覧できました。
ケースの中に入った展示品が、ぐっと身近に引き寄せられた感じです。
佐保山師のお話は、宗教行事である修二会と一般人をつなぐ架け橋となる講話でした。
参加できて良かったです。
だいぶん長くなってしまいましたが、今回の記事はこれでおしまいです。
お付き合いをありがとうございました。
修二会や東大寺のことは、以前にも何回か記事に書いてますので、もしご興味がありましたら、右上のブログ内検索で「東大寺」と入力して検索してみてくださいね。
奈良国立博物館
住所:奈良市登大路町50番地 TEL:050-5542-8600(ハローダイヤル)
開館時間:9時半~17時(土曜は19時まで。入館は各閉館の30分前まで)
休館日:月曜(月曜祝日の場合は開館し、翌日休館)
東大寺
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お水取りとは正式名を修二会といい、東大寺の二月堂で心身を清めた僧侶(練行衆)11名が、十一面観音さま(大観音・小観音)の前で罪過を懺悔し(悔過)、天下安穏などを祈願する法会です。
752年に実忠和尚が始めてから、一度も絶えることなく続いているそうです。

奈良国立博物館では、そのお水取りに関する展覧会を毎年開催しています。
今回は特別企画として、東大寺の僧侶・佐保山暁祥師の講話と現地解説会が開かれ、それに当たりましたので参加してきました。
お話してくださった佐保山師は、東大寺の塔頭である宝珠院のご住職で、お水取りの法要・修二会の練行衆に13回選ばれ、今年(2022年)も配役され、行法を行われたそうです。
今回の展覧会の展示物と絡めて修二会についてお話してくださったのですが、まだお若いお坊さまですがお話が上手で感心しました。
さすがは天下の東大寺の僧侶ですね。
その東大寺の僧侶なのですが、あんなに大きなお寺なのでたくさんの僧侶がいらっしゃるのかと思っていたら、長老6名、塔頭住職13名の計19名なのですって。
修二会では11名の練行衆が必要なので、東大寺の僧侶だけでなく、たくさんある同宗派の末寺からも毎年数名選ばれるそうです。
修二会の行法は厳しそうなので、練行衆に選ばれると大変だろうなと思っていたら、「東大寺に生まれたからには修二会は避けては通れない」とおっしゃっていたのが印象的でした。

練行衆には、それぞれの役職に応じてするべきことや覚え書などが書かれているマニュアルのようなものがあるようで、展覧会には「二月堂和上日記」や「大導師覚悟記」、「新入心精進之事」などの書が展示されていました。
ちなみに「和上」や「大導師」は、練行衆の上位役職名です。
上位役職は四職(ししき)といい、和上・大導師・咒師(しゅし)・堂司(どうつかさ)の4つの役配があります。
後の7名は平衆で、そこにも各名称と役割があります。
修二会は四職と平衆とで行われます。
展示されていたのは江戸時代のものでしたが、練行衆に選ばれると各自そういったマニュアルのようなものを模写されるのか、佐保山師も和紙で作った書をお持ちで、見せてくださったのですが、墨で書かれていて、余白に注意する点などが細かく書かれていました。
書自体の色も変わり、かなり使いこんでいることが見てとれます。
展示されていた書も単なる文化財ではなく、このように使われ、伝え続けられているのですね。
展覧会では、練行衆が纏う衣装(紙衣)や履物(差懸)なども展示されていたのですが、佐保山師が実際に身につけられた紙衣(かみこ)や差懸(さしかけ)などを持ってきてくださいました。
布の裏地が付いている和紙の衣は、すごくしっかりしていましたが、かなり重たいそうです。
それに、差懸も持たせてもらいましたが、結構厚底でこれも重い。
なんか衣装を身に纏うだけでも体力がいりそうでした。
佐保山師は、東大寺の方も案内してくださいました。
一般では入れないところも案内していただき、興味津々です。

この日はあいにく雨の日で、屋根のあるところを歩いたので、花の近くには行けなかったのですが、南大門の近くに桜かな(?)が咲いてました。

行った時はソメイヨシノはまだでしたが、今ならきれいでしょうね。
ところで、東大寺の大仏殿は過去に2度焼失しています。
2回目の焼失以降、仮の仏殿が建てられたそうですが暴風で倒壊し、約100年間野ざらし状態だったそうです。
それを公慶上人という1人の僧侶が嘆き、再建を目指して頑張って資金を集めたのですが足りなかったところ、徳川綱吉と母の桂昌院の助力で再建できたそうです。
ですが、以前の大きさには造れなかったようで、少し小さく造られています。
現在の大仏殿の後ろ側には、以前の大きさがわかるように、砂利が敷かれてました。
大仏殿の中も、内陣というか、多分、お身拭いの時に上がれるところまで案内してくださり、大仏さまのお顔を間近に拝むことができ、感激して少しうるっときてしまいました。
やはり廬舎那仏の御威光はすごかったです。

こちらは、チラシにあった二月堂縁起上巻の一部なのですが、実忠和尚が修二会の行法中に全国の神さまの名前を読み上げ参集を願ったところ、若狭国の遠敷明神だけが川で魚釣りをしていて遅刻されたそうです。
そのおわびに御本尊にお供えする霊水を若狭から送ると言って、二月堂の下から祈ると、黒と白の鵜が飛び立ちそこから霊水が湧きだしたそうです。

それがこちらの閼伽井屋(あかいや)の中にある若狭井戸です。
というわけで、閼伽井屋の屋根には鵜(う)がいました。

上に見えるお堂が二月堂です。

こちらは修二会の間、練行衆が住まわれる参籠宿所です。
どちらも相部屋だそうですよ。

右手の階段を上って二月堂に入られます。

二月堂の十一面観音さまは、大観音(おおかんのん)、小観音(こがんのん)の2仏いらっしゃって、どちらも絶対秘仏ですが、展覧会では小観音を写したのではないかと言われている絵がありました。
また、二月堂も火災に遭っているのですが、小観音さまを安置した厨子を持って逃げたという文書が残っていることから、小観音さまは厨子ごと持ち運び可能なサイズなのだと思います。
大観音さまの方は、博物館の仏像館に光背だけが展示されており、それから類推しても高さ140~150㎝ぐらいはあるのではないかと思います。
かなり大きいですよね。
大観音さまは、十一面観音ではなく聖観音の可能性もあるとのことでしたが、誰も見たことがないとのことでしたので確認することは難しいでしょうね。

佐保山師はいろんなお話をしてくださいまして、解説会の後、もう一度展覧会場に戻って展示品を観ると、内容がよくわかり大変面白く(興味深く)観覧できました。
ケースの中に入った展示品が、ぐっと身近に引き寄せられた感じです。
佐保山師のお話は、宗教行事である修二会と一般人をつなぐ架け橋となる講話でした。
参加できて良かったです。
だいぶん長くなってしまいましたが、今回の記事はこれでおしまいです。
お付き合いをありがとうございました。
修二会や東大寺のことは、以前にも何回か記事に書いてますので、もしご興味がありましたら、右上のブログ内検索で「東大寺」と入力して検索してみてくださいね。
奈良国立博物館
住所:奈良市登大路町50番地 TEL:050-5542-8600(ハローダイヤル)
開館時間:9時半~17時(土曜は19時まで。入館は各閉館の30分前まで)
休館日:月曜(月曜祝日の場合は開館し、翌日休館)
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