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光秀紀行 坂本・大津編⑤ 坂本城と光秀ゆかりの地②

 前回の続きで、坂本城周辺の紹介です。

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 こちらのお寺は東南寺です。
 天台宗のお寺で、伝教大師が創建したそうです。
 
 お寺は閉まっていて中に入れませんでしたが、境内には、光秀が討たれたあと秀吉軍が坂本城に押し寄せ戦闘になった「坂本城の戦い」で亡くなった人々の供養塔(首塚)があるそうです。

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 東南寺のすぐ近くには坂本城跡の碑がありました。
 坂本城址公園にあった坂本城の解説板によると、東南寺やこの石碑の辺りは二の丸があった場所みたいです。
 城内ですね。

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 こちらは明智塚です。

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 坂本城落城の際に、光秀の脇差である「郷義弘」と宝物類を埋めた塚と伝えられているそうです。
 この辺りも城内に位置する場所なので、明智一族を供養するところが多いのでしょうね。

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 こちらは聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)です。

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 開基は伝教大師最澄と伝えられている天台宗のお寺です。
 森蘭丸の父、森可成の墓所があるお寺だそうです。
 森可成の墓所があったので、比叡山の焼き討ちから免れたのだそうですよ。

 こちらのお寺も事前予約が必要で、今回は境内のみの見学です。
 今、調べたら昨年の10月に大津歴史博物館で、盛安寺と聖衆来迎寺の展覧会も開催されていたみたいです。
 聖衆来迎寺は、比叡山の焼き討ちを免れたため多くの文化財が残っており、比叡山の正倉院とも称されているそうですよ。
 毎年8月16日に虫干会で文化財が公開されるみたいなので、行くとしたらその時でしょうか。

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 表門です。
 坂本城の門を移したそうで重要文化財に指定されています。
 装飾はなく質実剛健な感じがする門でした。

 坂本は比叡山のお膝元です。
 信長の命のもと、比叡山を焼き討ちにした光秀にゆかりのお寺が多いのは、光秀がこの地に城を構え、その後の復興に力を注いだからでしょうか。
 それとも、坂本城での敗戦があまりにも哀れで、寺院としても供養せずにはいられなかったからでしょうか。
 もしかするとその両方かもしれませんね。
 本来なら穏やかな地であったはずが、戦国時代の波に揺れ動かされたことがわかった旅でした。

 これで坂本の散策は終わりです。
 次回はランチとおみやげについて書く予定です。
 
びわ湖大津 光秀大博覧会('20.3.8~'21.3.31)
 聖衆来迎寺
 住所:大津市比叡辻2-4-17 TEL:077-578-0222
 東南寺
 住所:大津市下坂本3丁目6−14

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