光秀紀行 坂本・大津編④ 坂本城と光秀ゆかりの地①
亀岡大河ドラマ館の記事を間に挟みましたが、坂本・大津編に戻ります。

滋賀院門跡の後に盛安寺に向かって自転車で走っていると、坂本大観音さまが立ってられました。
この辺りは坂本の石工集団・穴太衆(あのうしゅう)の頭たちが住んでいたようです。
穴太衆は坂本城の築城に関わり、その腕を見込まれ秀吉や家康にも仕え、穴太衆頭の中の戸波家は、江戸城築城のため材木石奉行になり江戸に行ったそうです。すごいですね。
そういったことが書いてあった説明書きが近くに立っていました。

こちらは盛安寺(せいあんじ)です。
江戸時代に明智寺と呼ばれていたそうです。
石垣は穴太衆によるものだそうですが、撮れてませんねぇ。
予習不足でした。

天台真盛宗のお寺です。
拝観には事前予約が必要みたいで、今回は拝観できませんでした。
右の写真の建物は客殿で、桃山時代の伏見城の遺材が使われているそうです。

この建物は太鼓楼で、敵の急襲を知らせた恩賞として光秀より賜った「明智公陣太鼓」のための建物だそうです。
こちらも見れませんでした。残念。
盛安寺には井上靖の「星と祭り」に出てくる十一面観音さまがいらっしゃいます。
5月6月10月の土曜と正月3元日、GWのみのご開帳で、いつかお会いしたいなと思いながら盛安寺を後にしました。

盛安寺を出発して、坂本城があった場所に行く途中に日吉大社の山王鳥居がありました。
滋賀県指定文化財だそうですよ。
琵琶湖畔に立っており、良い雰囲気だったので、鳥居をバックに写真を撮ってられる人も多かったです。

山王鳥居の近くに坂本城址公園があります。

光秀の石像もありました。
もう少し背が高かったら、もっとカッコ良かったかな。
坂本城は、織田信長の命により京と比叡山の抑えとして光秀が築城したお城です。
信長は光秀の坂本城に安土城より先に大小2つの天主を作らせ、それを参考に信長は安土城の天主を作ったという説もあります。
その城は豪壮華麗で、宣教師ルイス・フロイスに「安土城につぐ天下第二の城」と評されたほどだったそうです。
残念ながら、光秀が敗れ、光秀の娘婿である明智秀光(左馬之助)が城に火を放ち落城しました。
その後、秀吉の命で坂本城は再建されたのですが、城主である浅野長政が大津城に居城を移すことになり、坂本城は大津城の資材となったため現在ではほとんど何も残っていません。

こちらは本丸跡地の辺です。
今は会社の駐車場で、普段は会社の人以外は入れない場所ですが、'21.2.28までの土・日・祝日の9時から17時までは入ることができます。

水位が低いと湖中に沈んでいる石垣が見えるということです。
なんとなく直線状に石が並んでいるような。
この石も形が切ったようだなぁ、これが石垣跡の石かな?シランケド(笑)。

坂本城の対岸は安土だそうです。
ドラマの中でも、坂本城の天主から琵琶湖を臨むシーンがありました。
年月が経った今でも、見える景色は光秀が見た景色と同じだったのだろうなぁ。
まだもう少し先にも行きましたので、続きは明日に。
びわ湖大津 光秀大博覧会('20.3.8~'21.3.31)
盛安寺
住所:大津市坂本1-17-1 TEL:077-578-2002
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滋賀院門跡の後に盛安寺に向かって自転車で走っていると、坂本大観音さまが立ってられました。
この辺りは坂本の石工集団・穴太衆(あのうしゅう)の頭たちが住んでいたようです。
穴太衆は坂本城の築城に関わり、その腕を見込まれ秀吉や家康にも仕え、穴太衆頭の中の戸波家は、江戸城築城のため材木石奉行になり江戸に行ったそうです。すごいですね。
そういったことが書いてあった説明書きが近くに立っていました。

こちらは盛安寺(せいあんじ)です。
江戸時代に明智寺と呼ばれていたそうです。
石垣は穴太衆によるものだそうですが、撮れてませんねぇ。
予習不足でした。


天台真盛宗のお寺です。
拝観には事前予約が必要みたいで、今回は拝観できませんでした。
右の写真の建物は客殿で、桃山時代の伏見城の遺材が使われているそうです。

この建物は太鼓楼で、敵の急襲を知らせた恩賞として光秀より賜った「明智公陣太鼓」のための建物だそうです。
こちらも見れませんでした。残念。
盛安寺には井上靖の「星と祭り」に出てくる十一面観音さまがいらっしゃいます。
5月6月10月の土曜と正月3元日、GWのみのご開帳で、いつかお会いしたいなと思いながら盛安寺を後にしました。

盛安寺を出発して、坂本城があった場所に行く途中に日吉大社の山王鳥居がありました。
滋賀県指定文化財だそうですよ。
琵琶湖畔に立っており、良い雰囲気だったので、鳥居をバックに写真を撮ってられる人も多かったです。

山王鳥居の近くに坂本城址公園があります。

光秀の石像もありました。
もう少し背が高かったら、もっとカッコ良かったかな。
坂本城は、織田信長の命により京と比叡山の抑えとして光秀が築城したお城です。
信長は光秀の坂本城に安土城より先に大小2つの天主を作らせ、それを参考に信長は安土城の天主を作ったという説もあります。
その城は豪壮華麗で、宣教師ルイス・フロイスに「安土城につぐ天下第二の城」と評されたほどだったそうです。
残念ながら、光秀が敗れ、光秀の娘婿である明智秀光(左馬之助)が城に火を放ち落城しました。
その後、秀吉の命で坂本城は再建されたのですが、城主である浅野長政が大津城に居城を移すことになり、坂本城は大津城の資材となったため現在ではほとんど何も残っていません。

こちらは本丸跡地の辺です。
今は会社の駐車場で、普段は会社の人以外は入れない場所ですが、'21.2.28までの土・日・祝日の9時から17時までは入ることができます。


水位が低いと湖中に沈んでいる石垣が見えるということです。
なんとなく直線状に石が並んでいるような。
この石も形が切ったようだなぁ、これが石垣跡の石かな?シランケド(笑)。

坂本城の対岸は安土だそうです。
ドラマの中でも、坂本城の天主から琵琶湖を臨むシーンがありました。
年月が経った今でも、見える景色は光秀が見た景色と同じだったのだろうなぁ。
まだもう少し先にも行きましたので、続きは明日に。
びわ湖大津 光秀大博覧会('20.3.8~'21.3.31)
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