大阪 あべのハルカス美術館「ギュスターヴ・モロー展」

もう会期終了間近になってきましたが、あべのハルカス美術館で開催されている「ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち」展('19.7.13~9.23まで。観覧料1500円)を観てきました。
この展覧会は、ギュスターヴ・モロー本人の家族や恋人の情報をもとに画家本人の実際と、彼が数多く描いた「サロメ」を中心とした男性を滅亡に追いやる宿命の女ファム・ファタルを対比させ、モローにとってのファム・ファタルについて考えさせられた展覧会でした。
モローは、1826年に建築家の父と市長の娘であった母との間で長男として生まれました。
裕福な家庭で育ったのですが、父と妹を若くして亡くしたため、母の愛情は一身にモローに向けられたようで、母とモローは濃い母子関係にあったようです。
母のポーリーヌは、モローを管理しているとも思えるぐらい細かく世話をし、モローも母に制作のアイデアを報告しています。
そんな密接な親子関係において、母に対して遠慮があったのか、恋人のアレクサンドリーヌ・デュルーとは30年近くも付き合いながら結婚はしていません。
母は他の女性との結婚には反対したことがあったようですが、アレクサンドリーヌとの交際は認めていたようなんですけどね。
モローはアレクサンドリーヌを修道女のようだと評し、モロー自身も他者から聖職者のようだと思われていたようです。
そんな品行方正なモローが、なぜファム・ファタルに惹かれたのかというのがテーマのようです。

展覧会では、まずはモロー自身について紹介ということで、第1章は「モローが愛した女たち」となっており、24歳の時の自画像から始まります。
気弱で優しそうな印象です。
衿元の白いシャツが画面を惹き立てていますが、モローは晩年、自身の美術館設立時用に結構いろんな作品に加筆したようで、この部分も後年の加筆と考えられているそうです。
この章では、モローの母や妹のカミーユ、恋人の肖像画が素描を中心に展示されています。
モローの描く母の肖像画は、明るく優しそうな印象です。
妹もめちゃかわいいです。
恋人も優しそうで、実物の写真より1割増し程度美人に描いてもらってるような(笑)。
3人とも上品な印象なので、章タイトルも「女たち」ではなく「女性たち」にしてほしかったですね。
モローは自分の最期はアレクサンドリーヌに手を取ってもらいたいと願いを持っていたのに、モローが彼女を看取ることになり、その後すぐに描いたといわれる「パルクと死の天使」という、暗いですが勢いのある絵が展示されていました。
なんかモローの不合理さへの怒りのような感情が伝わってきました。

第2章は「《出現》とサロメ」で、サロメの一連の作品が勢揃いです

モローのサロメは何枚かは観ているのですが、これほどまとめて観たのは初めてで面白かった~

サロメは、ヘロデ王にヨハネの首を所望した悪女みたいな捉え方をされていますが、元はサロメの母へロディアがサロメの父である夫と離婚して、夫の兄弟のヘロデ王と再婚。それをヨハネに非難されたのを恨みに思い、娘のサロメを使ってヨハネの首を所望させたというのが史実で、本当に悪いのは母のへロディア。
でも史実よりサロメを主人公にした方がインパクトがあると考えたオスカー・ワイルドが、若く美しいサロメが、自分の魅力に振り向かないヨハネの首をヘロデ王に自分の意志で所望したという戯曲「サロメ」(1893年)を作ったおかげで、サロメ自身が一気に悪女として認知されました。
ですが、たとえ母の要望でも、若い娘が人間の首を褒美に所望するというのはやはりショッキングなことで、母よりサロメに注目がいくのは仕方がないように思います。
現にヘロデ王の宴会を題材にした絵画は、古くは12世紀頃から描かれており、モローのサロメの一連の作品もワイルドの戯曲以前に描かれたものです。
モローのサロメの初期の作品は、斬首されるヨハネが主人公でサロメは横に立っているという構図でしたが、だんだんとサロメと横たわっているヨハネの死体という中心が2つの構図になり、そのうちサロメ1人だけの構図になり、「出現」ではもっとドラマチックに首と対峙するという、完全にサロメを主人公にした構図に変化していきます。
モローの頭の中でどんどん妄想が膨らんでいるなと思えて、画家の想像力の一端が見れたようで面白かったです

内容は想像力に富んでいても、モローはきちんとモデルを置いて数多くのデッサンを描いており、手の位置など細かく何度も描いて検証しています。
その辺はリアリストというか、きっちり描く人なんだなと思いました。
モローはサロメに関していろいろ試しており、色の塗り方、描き方も縦線を主流に描いており、そのシャープさはサロメと見ているこちらとの間に近寄りがたい溝を感じさせます。
ほとんど抽象画に近いような縦線だけの習作でも、具象的で神秘的に見えるところがすごいですね。
衣装も何重にも重ねた厚ぼったいものから、ほぼ裸で薄絹をまとわせ文様で装飾するなど変えています。
重たい衣装より「出現」や「刺青のサロメ」(今回は展示なし)のような薄衣に装飾の方が怪しく神秘的です。
文様やポーズ、蓮の花を持っているところなど、どこかエキゾチックで東洋の女神を連想させていまして、19世紀後半にヨーロッパでジャポニズムブームが起こった当時でしたので、モローも東洋の神秘への関心があったのだろうと思います。
サロメの次は本物のファム・ファタルの登場で、第3章「宿命の女たち」になります。
前半はトロイアのヘレネ、サムソンの寝首を掻いたデリラ、古代ローマ皇帝の妃でありながら放蕩なメッサリーナ、オイディプスに謎を解かれる人頭獣身のスフィンクス、船乗りたちを海に引きずり込むセイレーンなど、男性が恐れる女性たちを、後半は神ゼウスに弄ばれるレダやエウロペなどが展示されていました。
レダやエウロペは、ゼウスと知らずに接触しているため、真実の姿を知って驚愕したり拒否している様子が描かれることが少なくないのですが、モローの作品では素直に受け入れられていました。
モローの解釈では「聖婚」と位置づけていたからだそうです。
ですが、モローの「エウロペの誘拐」の右下には散った白い花が描かれており、これが同意のもとではないことを暗示しているように私には思えました。

最後の第4章は、処女にしかなつかないという「《一角獣》と純潔の乙女」のコーナーです。
パリのクリュニー美術館所蔵の「貴婦人と一角獣」という6枚つづりのタペスリーに触発を受けて描いたそうです。
この6枚のタペスリーは日本にも来て、大阪では2013年に国立国際美術館で公開され、私も観て感動した覚えがあります。
モローの「一角獣」は、その美しいタペスリーに勝るとも劣らない装飾が美しい1枚でした。
ただ、着飾った女性の横に、ほぼ全裸で装飾品のみを身に着けている女性とは、状況設定としては不思議です。
衣服と裸体、聖女と悪女、強さと従順、神秘さと通俗さ…、モローは女性の二面性、あるいは女性に対してアンビバレンツな感情を抱いていたのではないかと展覧会全体を観て思いました。
その感情の由来が、家庭環境にあるのではないかという考えを第1章では提示されていたと思います。
確かに強い母の影響もあったでしょうし、モローが生きた19世紀は産業革命がおこり男性優位の社会が揺らいできた時代でもあったので、進出してくる女性に対する恐れや、女性を貶めることで悦ぶような密かな悪意が社会的風潮としてあったのかもしれません。
それでもモローの描く主題は女性で、モローはその単純ではない複雑な「女性」に惹かれ、探求しても終わりのない神秘な存在として崇拝をもって描いていたのだと思いました。
「神秘の花」という作品では、凛として立つマリアの足元には、累々と屍が積み重なっています。
血を流してでも傍に行きたいと努力しても近寄れない存在、モローにとって「女性」そのものがファム・ファタルだったのではないかと思いました。
でも、その探求は決して不幸ではなかったと思います。

モローは生前から自宅を国に寄付し死後個人美術館として公開することを遺言して、ギュスターブ・モロー美術館が現在に至ります。
モロー美術館、ずっと行きたいと思って何度かチャレンジしたのですが、たまたま休館していたりしてまだ行けてません。
モローはきっちりした性分の人らしく、所蔵品を最大限に美しく見せるべく配置や展示方法を工夫したようです。
「人類の生」という作品は、計10枚の小品の作品なのですが、扉のような板に絵を嵌め込んで展示されているのですが、今回その台座は持ってこれなかったので、ハルカス美術館の展示では大阪の職人さんがその台座を作り、本物の絵を嵌め込んで展示されたそうです。
おかげで現地そっくりの状態で観ることができました。
いつか必ずパリのモロー美術館に行きます!
19世紀末の象徴主義の画家ギュスターブ・モローの展覧会、面白かったです

あべのハルカス美術館
住所:大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43 あべのハルカス16階 TEL:06-4399-9050
開館時間:火~金10時~20時、月・土・日・祝10時~18時(入館は閉館の各30分前まで)
休館日:一部の月曜日(祝日の場合は開館)、年末年始、展示替期間中

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