京都国立博物館 「禅-心をかたちに-」展
一昨日、ノートパソコンで普通に調べ物をしている最中に少し席をはずしていたら、許可もなく勝手にWindows10のアップロードを始めていてびっくり!
それまでに何度もアップロード勧奨の知らせが来ていたのですが、うちのPCは古いので新バージョンにしたら逆に不具合が生じると思って「しない」をクリックしていたのに業を煮やしたのか、今度は有無を言わさずの強制で始められてしまいました。
初めなんのアップロードがわからず何か変なとこをクリックしたのか?と思ったのですが、大掛かりなアップロードだったしWindowsマークがでていたので、バージョン10のアップロードだと気付きました。
どこも操作できず強制終了しても切れないし、どんどんアップロードが進んでいくし、どうしていいかわからず急いで寝ている夫に助けを求めたら、電源を切ってバッテリーも抜いての強制終了でやっと止めることができました。
再度立ち上げたら旧バージョンを復元してくれたから良かったものの、復元されなかったら大変!
ユーザーの許可なく勝手にこんなことをしていいのか!とマイクロソフト社に対して強い憤りを覚えました。
皆さんも気をつけてくださいね。

ところで、今日(5/22)で終わってしまう京都国立博物館で開催されている「禅-心をかたちに-」展('16.4.12~5.22まで。観覧料1500円)を観てきました。
達磨大師によってインドから中国へ伝えられたとされる禅は、臨済宗・黄檗宗の宗祖の臨済義玄(りんざいぎげん)によって広がり、日本には鎌倉時代に伝えられました。
日本の禅宗は、臨済宗、黄檗宗、曹洞宗がありますが、この展覧会は臨済義玄の没後1150年、日本における臨済宗の中興の祖である白隠慧覚(はくいんえかく)の没後250年(実際は2018年)の遠諱(おんき)を記念しての展覧会ですので、臨済宗、黄檗宗を中心に紹介されていました。
私は詳しくは知りませんが、禅宗は、自分の内面に備わっている仏性を見つけるため座禅を修行の基本として、文字や言葉で教えることを避け自分自身で考え認識するという考え方のようで、禅問答などはその人の思うことによって変化するので、答えがわかるようでわからなかったのはこういう理由だったのかと得心がいきました。
思索的なので学問好きの人に向いていそうですね。

禅宗の特徴のため経典や礼拝のための仏像が少なく、展示の内容は禅僧の肖像画である頂相や禅の教えに通じるようなエピソードを表した展示が多かったです。
実は前期・後期の2回観に行ったのですが、前期は禅僧のことなど全然知らなかったのでスッと流していたのですが、後期に観に行った時に、これらの頂相は京都の有名な禅寺の開祖がほとんど揃っているということに気付いて、一気に興味が湧きました。
穏やかそうな僧もいらっしゃれば、厳しそうな僧も
一休さん(一休宗純)はクセがありそうでしたね(笑)。
皆さん靴を脱いで椅子の上で座禅を組んでらっしゃるだろうに、靴を履いての半跏姿であったり。
「自分(一休宗純)は弟子の誰にも印可を渡していないので、もし自分の死後一休の教えとして人に説くとその人は自分の怨敵である」という内容を書いたものを残したり。
そういう宗派なので戒めるのはわかるのですが、怨敵とまでいうのはすごいですよね(苦笑)。

慧可という人が達磨大師が座禅している時に一緒に座禅させてほしいと頼んで認められなかったため、自分の左手を切り取って決意を表し弟子として許されたというエピソードを描いた雪舟の「慧可断臂図」(写真左)、切られた左手の断面は少し赤くてこわかったです。
修行中なので断ったらその人が左手を切り落とすなんて、達磨さんもびっくりされたでしょう

それが全てではないのですが、ちょっと激烈なパッションを持った人が少なくなかったのかなと思いました。
そういう人だからこそ、内観することが必要だったのかもと思ったりもして。
展示を見るだけでなく、日によりけりですが狂言鑑賞やイスに座っての座禅体験、短い禅語を写すなど、実体験を通して自分の心に目を向けるようなイベントもされていました。
禅とは関係ないかもしれませんが、玉眼の入れ方の説明も勉強になりました
特別拝観などがあるといそいそと出かける禅寺の開祖のお顔を拝顔するというミーハーな好奇心と、自分の内面を見つめる心のゆとりについて少し考えることができる面白い(興味深い)展覧会でした
京都国立博物館
住所:京都市東山区茶屋町527 TEL:075-525-2473(テレホンサービス)
開館時間:9時半~18時(金曜は20時まで。入館は各30分前まで) 休館日:月曜(月曜が休日の場合は、翌火曜日休館)
それまでに何度もアップロード勧奨の知らせが来ていたのですが、うちのPCは古いので新バージョンにしたら逆に不具合が生じると思って「しない」をクリックしていたのに業を煮やしたのか、今度は有無を言わさずの強制で始められてしまいました。
初めなんのアップロードがわからず何か変なとこをクリックしたのか?と思ったのですが、大掛かりなアップロードだったしWindowsマークがでていたので、バージョン10のアップロードだと気付きました。
どこも操作できず強制終了しても切れないし、どんどんアップロードが進んでいくし、どうしていいかわからず急いで寝ている夫に助けを求めたら、電源を切ってバッテリーも抜いての強制終了でやっと止めることができました。
再度立ち上げたら旧バージョンを復元してくれたから良かったものの、復元されなかったら大変!
ユーザーの許可なく勝手にこんなことをしていいのか!とマイクロソフト社に対して強い憤りを覚えました。
皆さんも気をつけてくださいね。

ところで、今日(5/22)で終わってしまう京都国立博物館で開催されている「禅-心をかたちに-」展('16.4.12~5.22まで。観覧料1500円)を観てきました。
達磨大師によってインドから中国へ伝えられたとされる禅は、臨済宗・黄檗宗の宗祖の臨済義玄(りんざいぎげん)によって広がり、日本には鎌倉時代に伝えられました。
日本の禅宗は、臨済宗、黄檗宗、曹洞宗がありますが、この展覧会は臨済義玄の没後1150年、日本における臨済宗の中興の祖である白隠慧覚(はくいんえかく)の没後250年(実際は2018年)の遠諱(おんき)を記念しての展覧会ですので、臨済宗、黄檗宗を中心に紹介されていました。
私は詳しくは知りませんが、禅宗は、自分の内面に備わっている仏性を見つけるため座禅を修行の基本として、文字や言葉で教えることを避け自分自身で考え認識するという考え方のようで、禅問答などはその人の思うことによって変化するので、答えがわかるようでわからなかったのはこういう理由だったのかと得心がいきました。
思索的なので学問好きの人に向いていそうですね。

禅宗の特徴のため経典や礼拝のための仏像が少なく、展示の内容は禅僧の肖像画である頂相や禅の教えに通じるようなエピソードを表した展示が多かったです。
実は前期・後期の2回観に行ったのですが、前期は禅僧のことなど全然知らなかったのでスッと流していたのですが、後期に観に行った時に、これらの頂相は京都の有名な禅寺の開祖がほとんど揃っているということに気付いて、一気に興味が湧きました。
穏やかそうな僧もいらっしゃれば、厳しそうな僧も

一休さん(一休宗純)はクセがありそうでしたね(笑)。
皆さん靴を脱いで椅子の上で座禅を組んでらっしゃるだろうに、靴を履いての半跏姿であったり。
「自分(一休宗純)は弟子の誰にも印可を渡していないので、もし自分の死後一休の教えとして人に説くとその人は自分の怨敵である」という内容を書いたものを残したり。
そういう宗派なので戒めるのはわかるのですが、怨敵とまでいうのはすごいですよね(苦笑)。


慧可という人が達磨大師が座禅している時に一緒に座禅させてほしいと頼んで認められなかったため、自分の左手を切り取って決意を表し弟子として許されたというエピソードを描いた雪舟の「慧可断臂図」(写真左)、切られた左手の断面は少し赤くてこわかったです。
修行中なので断ったらその人が左手を切り落とすなんて、達磨さんもびっくりされたでしょう


それが全てではないのですが、ちょっと激烈なパッションを持った人が少なくなかったのかなと思いました。
そういう人だからこそ、内観することが必要だったのかもと思ったりもして。
展示を見るだけでなく、日によりけりですが狂言鑑賞やイスに座っての座禅体験、短い禅語を写すなど、実体験を通して自分の心に目を向けるようなイベントもされていました。
禅とは関係ないかもしれませんが、玉眼の入れ方の説明も勉強になりました

特別拝観などがあるといそいそと出かける禅寺の開祖のお顔を拝顔するというミーハーな好奇心と、自分の内面を見つめる心のゆとりについて少し考えることができる面白い(興味深い)展覧会でした

京都国立博物館
住所:京都市東山区茶屋町527 TEL:075-525-2473(テレホンサービス)
開館時間:9時半~18時(金曜は20時まで。入館は各30分前まで) 休館日:月曜(月曜が休日の場合は、翌火曜日休館)