和歌山 高野山開創1200年③壇上伽藍その2('15.4.18)

今回は中門の紹介からです。
天保14年(1843年)、伽藍は西塔以外は焼失してしまう大火事があったそうです

この時に焼失した中門はなかなか再建されず、今年(H27年)の大法会を記念して172年ぶりに再建されました。
門には仁王像ではなく四天王像が安置されています。


門の外と内では、四天王像の色に大きな違いがあります。
持国天像(写真右)と多聞天像(写真左)は黒いのです。
実はこの2体の天王さまは、天保の大火から救い出され、修復後に西塔に仮安置されていた江戸時代の天王さまだったのです。


広目天像(写真左)と増長天像(写真右)はこの度新しく造られた平成の天王さまです。
仏師は松本明慶さんで、京都にこの方の仏像彫刻美術館があるのですが、開館日がどうも合わずまだ入館できてません。
いつか入って見たいと思っているのですけどね。
四体とも大きく迫力があります。
これだけの天王さまを彫るのは大変だったのではないかと思いました


こちらの松は「三鈷(さんこ)の松」といい、弘法大師が真言密教を広めるにふさわしい場所を求めて三鈷杵を投げたらこの松に引っかかっており、この地で広めること決心したというエピソードがある松だそうです。
この松の葉は、三鈷杵と同じく三葉とのことでしたが、見たら枝についている葉も二葉でしたけどねぇ。
三葉の葉を見つけると幸運があるとかで、探してられる方も多かったです。
私も一応探しましたが、松なんてそれほど落葉が激しいものではないですし、囲いもあるので探せる範囲で見つかるものはとっくに誰かの手元に行ってますよね(笑)。


伽藍の西の方に行きますと、山王院(さんのういん 写真上)と御社(みやしろ 写真下)があります。
高野山開創の伝承として、先程紹介した三鈷の松の話がありますが、その三鈷杵を探して弘法大師が大和に入ったときに二匹の犬を連れた猟師に逢われたそうです。
その猟師に導かれて高野の地に入ると三鈷杵が見つかり、その地を治めていた女神に土地を譲っていただき、大師は金剛峯寺を建立したとされています。
その猟師は実は狩場明神(高野御子神と同一神ともいわれている)で、高野山の地を譲った女神は狩場明神の母神である丹生都比売神(丹生明神)とされています。
御社はその丹生明神、高野明神、そして総社として十二王子・百二十伴神を祀っているお社です。
山王院は御社の拝殿として建立されました。
御社・山王院ともに安土桃山時代に再建された建物です。

こちらは西塔(さいとう)です。
大塔の御本尊が胎蔵界大日如来であるのに対し、西塔では金剛界大日如来と胎蔵界四仏が奉安されているようですが中には入れません。

木の組み方が大変美しいです

朱の色が鮮やかな塔も美しいですが、木の色そのままの塔も落ち着いた風情で、私はこちらの塔の方が好きです

現在の塔は江戸時代に再建されたものです。
御社、西塔の辺は壇上伽藍の西の端にあたり、この辺りまでくると人も少なくなりホッと落ち着けます


こうやって書いていると、高野山って本当に多くの自然災害に遭っているのだなと思います。
ほとんどが再建された建物ですものね。
中門のように、再建に今(平成27年)までかかった建物もあります。
それでも人々の強い想いがあれば、たとえ何年、何十年、何百年かかろうと復活できるのだということを実感しました。
願えば夢は必ず実現すると私も思っています

さて、高野山の記事も次が最終回です。
もう少しお付き合いくださいね

総本山金剛峯寺
住所:和歌山県伊都郡高野町高野山132 TEL:0736-56-2011(代表)
壇上伽藍の拝観時間:8時半~17時(1200年法会期間は8時~18時。閉堂開始17時45分)
高野山開創1200年法会:'15.4.2~5.21まで
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