京都大原 寂光院
楽しみにしていたGWが始まりました
連休初日の4/29、京都の大原に出町柳でレンタサイクルを借りて行ってきました
初めは軽快にペダルを漕いでいたのですが、大原の里に入る峠の辺は車が多いのに歩道がないのでこわいこわい
歩道があればもっと行きやすいのですけどね。

今回の一番の目的は寂光院(じゃっこういん)です。
こちらでは、建礼門院八百年御遠忌ということで秘仏普賢菩薩御開扉('13.4.14~5.12まで。拝観志納金600円)がされています。
寂光院は、推古2年(594年)に聖徳太子が父の用命天皇の菩提を弔うために創建されたとされています。
現在は天台宗の尼寺で、山号を清香山と称し、寺号は玉泉寺、御本尊は地蔵菩薩像です。
平清盛の息女で、高倉天皇の中宮、安徳天皇の母である建礼門院徳子が壇ノ浦の戦いで入水したところを助け出され、長楽寺(過去に訪問した時の記事はこちら)で出家した後、この寂光院に隠棲したことでも有名なお寺です。
住持は、初代は聖徳太子の御乳人の玉照姫で、第二代は阿波内侍(あわのないし。藤原信西の息女)になっています。
阿波内侍は建礼門院さんに仕えて支えた人で、この方の姿が、大原女の格好のルーツになったそうですよ。

門の中に入るときれいなお庭がありました。
池の中には豪華な鯉が。
どこの鯉も人が近付くとエサをもらえると寄ってくるのですが、こちらの鯉は寄ってきません
上品ですねぇ。

本堂です。
本堂は淀殿の命で片桐且元が慶長年間に再興したものだったそうですが、平成12年(2000年)放火で焼失してしまいました。
この際、本尊の地蔵菩薩立像(重文)も焼損し、堂内にあった建礼門院さんと阿波内侍の張り子像(建礼門院の手紙や写経を使用して作ったものといわれている)も焼けてしまったそうです。
誰が犯人かはいまだにわからずじまいですが、ひどいことをする人もいるものですね
絶対罰が当たると思います。
現在の本堂は平成17年(2005年)に再建されたもので、同時に新しく御本尊の地蔵菩薩立像と建礼門院さん、阿波内侍の像も作られ、現本堂に安置されています。
新御本尊は、ヒノキ材の寄木造で、旧本尊の新造時の姿を忠実に模しているそうで、極彩色の衣装を纏ってらっしゃいました


建礼門院さんと阿波内侍の像は、もともとは張り子像だったのですが、今回は木造で作り直されたそうです。
どちらも黒白の尼姿の彩色がされており、優しそうなお顔をされていました
建礼門院さんは36歳で、阿波内侍さんは50代で亡くなられたそうです。

建礼門院御庵跡の碑が建っていました。
平家物語の「灌頂の巻」に載っている、壇ノ浦の戦いの後、後白河院がこちらに訪問された大原御幸、後白河院は一丈四方の仏間と寝所だけの庵を見て落涙されたそうです。
原因を作った張本人のくせして何言ってるのだかと私は思いましたが、建礼門院さんは内心どう思われたのでしょうか。
ちなみに現在は大原となっていますが、元は小原だったそうで、後世になって大原になったそうですよ。

収蔵庫です。
なんと旧御本尊の地蔵菩薩さまが、平成17年の火災から全焼をかろうじて免れお姿をとどめておられました!
まっくろになってられましたが、焼けたお堂の中ですっくと立ってられたそうです。
このお地蔵様の中には3千数百体の胎内仏が納められており、そちらの胎内仏も無事でした。
姿形は変わってしまいましたが、なんか仏さまの力を見た思いがして感動しました
これ以上崩れないようにということで樹脂加工されているそうです。
同じお堂の中には、今回御開扉されている「普賢延命菩薩像」も安置されています。
この普賢菩薩さまは建礼門院さんの御持仏だそうで、三面の像に乗っておられました。
御持仏ということで、もっと小さいのかと思っていたのですが、想像よりは大きめで、身につけてらしたのではなく、安置されて拝んでられた仏さまでした。

この鐘は、祇園精舎の鐘と書かれています。
本当の祇園精舎はインドにあるのですが、平家物語に書かれている祇園精舎の鐘の音は寂光院にこそ似つかわしいのかもしれません

宝物殿には、旧御本尊の胎内仏や、慶長期の狩野派によるとされる大原御幸の絵巻物、髪の毛で刺繍された髪繍、伝円山応挙の絵画などがありました。
御朱印です。
「本尊 地蔵尊」と書かれているのでしょうか。
「洛北大原 寂光院」という字が、細くたおやかで流れるように美しいです

八百年御遠忌ということで、柴漬けをいただきました(~'13.5.12まで)。
私たちが行った日は、おぜんざいもいただけました。
その接待の建物の中の調度品も良かったです。
結願法要の5/12まで、平家琵琶の奉納などいろいろあるみたいですので、ご興味のある方は寂光院さんのHPを参考にしてくださいね

寂光院の隣には、建礼門院さんの陵墓がありました。
以前は境内にあったそうですが、明治以降は陵墓指定されたそうです。

大原の里にはまだ桜がきれいに咲いていました。
シャクナゲの花も満開で、春の花々が建礼門院さんを慰めていたのでしょうね
寂光院
住所:京都市左京区大原草生町676 TEL:075-744-3341
拝観時間:3/1~11/30は9時~17時、12/1~2/28は9時~16時半(1/1~1/3は10時~16時まで)

連休初日の4/29、京都の大原に出町柳でレンタサイクルを借りて行ってきました

初めは軽快にペダルを漕いでいたのですが、大原の里に入る峠の辺は車が多いのに歩道がないのでこわいこわい

歩道があればもっと行きやすいのですけどね。

今回の一番の目的は寂光院(じゃっこういん)です。
こちらでは、建礼門院八百年御遠忌ということで秘仏普賢菩薩御開扉('13.4.14~5.12まで。拝観志納金600円)がされています。
寂光院は、推古2年(594年)に聖徳太子が父の用命天皇の菩提を弔うために創建されたとされています。
現在は天台宗の尼寺で、山号を清香山と称し、寺号は玉泉寺、御本尊は地蔵菩薩像です。
平清盛の息女で、高倉天皇の中宮、安徳天皇の母である建礼門院徳子が壇ノ浦の戦いで入水したところを助け出され、長楽寺(過去に訪問した時の記事はこちら)で出家した後、この寂光院に隠棲したことでも有名なお寺です。
住持は、初代は聖徳太子の御乳人の玉照姫で、第二代は阿波内侍(あわのないし。藤原信西の息女)になっています。
阿波内侍は建礼門院さんに仕えて支えた人で、この方の姿が、大原女の格好のルーツになったそうですよ。


門の中に入るときれいなお庭がありました。
池の中には豪華な鯉が。
どこの鯉も人が近付くとエサをもらえると寄ってくるのですが、こちらの鯉は寄ってきません

上品ですねぇ。

本堂です。
本堂は淀殿の命で片桐且元が慶長年間に再興したものだったそうですが、平成12年(2000年)放火で焼失してしまいました。
この際、本尊の地蔵菩薩立像(重文)も焼損し、堂内にあった建礼門院さんと阿波内侍の張り子像(建礼門院の手紙や写経を使用して作ったものといわれている)も焼けてしまったそうです。
誰が犯人かはいまだにわからずじまいですが、ひどいことをする人もいるものですね

絶対罰が当たると思います。
現在の本堂は平成17年(2005年)に再建されたもので、同時に新しく御本尊の地蔵菩薩立像と建礼門院さん、阿波内侍の像も作られ、現本堂に安置されています。
新御本尊は、ヒノキ材の寄木造で、旧本尊の新造時の姿を忠実に模しているそうで、極彩色の衣装を纏ってらっしゃいました



建礼門院さんと阿波内侍の像は、もともとは張り子像だったのですが、今回は木造で作り直されたそうです。
どちらも黒白の尼姿の彩色がされており、優しそうなお顔をされていました

建礼門院さんは36歳で、阿波内侍さんは50代で亡くなられたそうです。

建礼門院御庵跡の碑が建っていました。
平家物語の「灌頂の巻」に載っている、壇ノ浦の戦いの後、後白河院がこちらに訪問された大原御幸、後白河院は一丈四方の仏間と寝所だけの庵を見て落涙されたそうです。
原因を作った張本人のくせして何言ってるのだかと私は思いましたが、建礼門院さんは内心どう思われたのでしょうか。
ちなみに現在は大原となっていますが、元は小原だったそうで、後世になって大原になったそうですよ。

収蔵庫です。
なんと旧御本尊の地蔵菩薩さまが、平成17年の火災から全焼をかろうじて免れお姿をとどめておられました!
まっくろになってられましたが、焼けたお堂の中ですっくと立ってられたそうです。
このお地蔵様の中には3千数百体の胎内仏が納められており、そちらの胎内仏も無事でした。
姿形は変わってしまいましたが、なんか仏さまの力を見た思いがして感動しました

これ以上崩れないようにということで樹脂加工されているそうです。
同じお堂の中には、今回御開扉されている「普賢延命菩薩像」も安置されています。
この普賢菩薩さまは建礼門院さんの御持仏だそうで、三面の像に乗っておられました。
御持仏ということで、もっと小さいのかと思っていたのですが、想像よりは大きめで、身につけてらしたのではなく、安置されて拝んでられた仏さまでした。

この鐘は、祇園精舎の鐘と書かれています。
本当の祇園精舎はインドにあるのですが、平家物語に書かれている祇園精舎の鐘の音は寂光院にこそ似つかわしいのかもしれません


宝物殿には、旧御本尊の胎内仏や、慶長期の狩野派によるとされる大原御幸の絵巻物、髪の毛で刺繍された髪繍、伝円山応挙の絵画などがありました。

御朱印です。
「本尊 地蔵尊」と書かれているのでしょうか。
「洛北大原 寂光院」という字が、細くたおやかで流れるように美しいです


八百年御遠忌ということで、柴漬けをいただきました(~'13.5.12まで)。
私たちが行った日は、おぜんざいもいただけました。
その接待の建物の中の調度品も良かったです。
結願法要の5/12まで、平家琵琶の奉納などいろいろあるみたいですので、ご興味のある方は寂光院さんのHPを参考にしてくださいね


寂光院の隣には、建礼門院さんの陵墓がありました。
以前は境内にあったそうですが、明治以降は陵墓指定されたそうです。

大原の里にはまだ桜がきれいに咲いていました。
シャクナゲの花も満開で、春の花々が建礼門院さんを慰めていたのでしょうね

寂光院
住所:京都市左京区大原草生町676 TEL:075-744-3341
拝観時間:3/1~11/30は9時~17時、12/1~2/28は9時~16時半(1/1~1/3は10時~16時まで)
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