京の冬の旅2012⑥ 泉涌寺別院 雲龍院
泉涌寺の大涅槃図見学を兼ねて、「京の冬の旅」の雲龍院('12.1.7~3.18まで。拝観料600円)にも行って来ました。

泉涌寺の料金所を抜けて、すぐ右の道を行きます。
こんな看板がでていますし、料金所の人にも雲龍院に行きたいといえば教えてくれます。

この日はお天気が良かったので、緑がきれいでした

ここからは泉涌寺の別院、別格本山雲龍院(うんりゅういん)の境内です。
南北朝時代、北朝の後光厳(ごこうごん)天皇の勅願により、竹巌聖皐(ちくがんしょうこう)を開山として応安5年(1372年)に創建された真言宗泉涌寺派別格本山で、御本尊は薬師三尊像です。
後光厳天皇の第二皇子の後円融(ごえんゆう)天皇が写経の功徳を信奉したため古くから写経道場として知られているそうです。
江戸時代初期、如周宗師が隣接する後円融天皇縁の龍華院を併合しています。
勅願の寺院で皇室との縁の深さから、泉涌寺山内にありながら別格本山という高い寺格が与えられている寺院です。

京の冬の旅の看板はこちらです。

建物までのお庭もきれいです。

行ったのは3月11日だったのですが、ようやく梅がきれいに咲いていました。
馥郁たる良い香りがしていましたよ。

冬の旅の期間中だけかはわかりませんが、御本尊と霊明殿以外は写真撮影OKとのことでしたので、撮らせていただきました。
上品にまとめられていました。
写真には載せていませんが、お雛様も飾ってあり、春らしかったです。

写真の中の平仮名ばかりの掛軸はクイズになっています。
昔の大工さんが作ったとか。
さて、どう読むでしょう?(答えはこの記事の最後に)
ちなみに、ひらがな掛軸の隣の漢字ばかりの掛軸もクイズになっているそうで、こちらは「禁酒」が答えなのですが、これは解き方を見てもよくわかりませんでした(苦笑)。

お庭もきれいでしたよ。
まだ冬のお庭だったのですが、春や秋はもっときれいでしょうね。
灯篭の手前の大きな石は、「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が彫られた鐘で有名な方広寺の礎石の一つだそうです。
方広寺の鐘の銘文がきっかけで、豊臣家は徳川に滅ぼされたのでしたね。
渡り廊下の前の庭です。
灯篭の周囲は菊の模様が描かれています。
この灯篭は、徳川慶喜が泉涌寺だったかに寄進した灯篭だそうで、明治維新時、官軍が倒したこの灯篭をこちらに持ってきて立てたそうです。
菊の模様がいつから描かれるようになったかはわかりませんが、菊の中心に置かれると官軍と言えどもこれ以上の手出しはできませんものね。

本堂は龍華殿(りゅうげでん)といい、重文だそうです。
兵火や地震で何回か倒壊しているそうですが、寛永16(1646)年に後水尾(ごみずのお)上皇の援助のもとに再建されたのが今の本堂です。
後水尾上皇の中宮は、前の大河ドラマの主人公・江と徳川秀忠の娘徳川和子(東福門院和子)なんですよ。

額が歴史を感じさせますよね。


中には、今回特別公開の堂野夢酔(どうのむすい)作の襖絵「双龍風雷図」があります。
なんと写真撮影可だったので、今回はポスターの拡大版ではありません(笑)。
なんとなくユーモラスな感じのする5本爪の龍です。
「阿」と「吽」の口を開いているそうです。
「阿」の方が向かって左の襖、「吽」は向かって右の襖絵でした。
迫力はありますが、圧迫感は感じないどこか軽快な龍図ですね。
この襖の奥に御本尊の薬師三尊像が祀られています。
今回は襖絵を見せるため、少しだけ襖が開けられていました。
そこから御本尊を拝ませていただくと、どっしりと落ち着いた雰囲気の薬師如来さまですが、優しいお顔立ちをされています
十二神将が光背の一部となり、薬師如来さまを守ってらっしゃいます。
左右の日光・月光菩薩さまはそれぞれ少し外側を向いてられ、広い視野を持って私たちを守ってくださる感じがしました。
さすが写経道場らしく、本堂では写経をされている方もいらっしゃいましたよ。
渡り廊下を渡って霊明殿(れいめいでん)というお堂に行きました。
こちらは明治元年に孝明天皇や静寛院宮(和宮内親王)の援助を受けて、皇室のお位牌を祀るために造られたお堂です。
お堂の中は写真撮影不可です。

この中に特別展示の「後小松天皇肖像画」の掛軸が掛かっていたのかな。
ちょっと記憶が不鮮明で失礼。
写真がピンボケで申し訳ないですが、ポスターにあったので載せておきますね。
あと、密教の占星術の「九曜星本尊」像が見れました。
小さいですが、色鮮やかです。
生まれ年で星が決まっており、今年の運気も書いてありました。
私たちの今年の運気は白丸で良かったです(ホッ
)。

次に書院の方に向かいました。
こちらには、四角い「迷いの窓」と丸い「悟りの窓」があります。

悟りの窓からはきれいな梅が見えましたが、写真ではちょっとわかりにくいですね。

このお寺は雲龍院というだけあり、龍図が多いです。
この他にも台所には「走り大黒天」像がありました。
こちらの大黒天像といい、この前の平等寺の大黒天像といい、私たちの知ってる大黒さまとはちょっとイメージが違いますが、いろいろな造形の大黒さまがいらっしゃるのですね。

南北朝時代から明治まで、様々な歴史が感じられる寺院でした
別格本山雲龍院
住所:京都市東山区泉涌寺山内町36 参拝時間:9時~16時半(特別公開期間以外にも拝観可)
(掛軸クイズの答え:ちご(「ち」が5つ)のさけ いつも(「も」が5つ)のみ(「の」が3つ)たや(「た」
が8つ)。「稚児の酒、いつも飲みたや」だそうです。皆さん正解されましたか?
)

泉涌寺の料金所を抜けて、すぐ右の道を行きます。
こんな看板がでていますし、料金所の人にも雲龍院に行きたいといえば教えてくれます。

この日はお天気が良かったので、緑がきれいでした


ここからは泉涌寺の別院、別格本山雲龍院(うんりゅういん)の境内です。
南北朝時代、北朝の後光厳(ごこうごん)天皇の勅願により、竹巌聖皐(ちくがんしょうこう)を開山として応安5年(1372年)に創建された真言宗泉涌寺派別格本山で、御本尊は薬師三尊像です。
後光厳天皇の第二皇子の後円融(ごえんゆう)天皇が写経の功徳を信奉したため古くから写経道場として知られているそうです。
江戸時代初期、如周宗師が隣接する後円融天皇縁の龍華院を併合しています。
勅願の寺院で皇室との縁の深さから、泉涌寺山内にありながら別格本山という高い寺格が与えられている寺院です。

京の冬の旅の看板はこちらです。

建物までのお庭もきれいです。

行ったのは3月11日だったのですが、ようやく梅がきれいに咲いていました。
馥郁たる良い香りがしていましたよ。



冬の旅の期間中だけかはわかりませんが、御本尊と霊明殿以外は写真撮影OKとのことでしたので、撮らせていただきました。
上品にまとめられていました。
写真には載せていませんが、お雛様も飾ってあり、春らしかったです。

写真の中の平仮名ばかりの掛軸はクイズになっています。
昔の大工さんが作ったとか。
さて、どう読むでしょう?(答えはこの記事の最後に)
ちなみに、ひらがな掛軸の隣の漢字ばかりの掛軸もクイズになっているそうで、こちらは「禁酒」が答えなのですが、これは解き方を見てもよくわかりませんでした(苦笑)。

お庭もきれいでしたよ。
まだ冬のお庭だったのですが、春や秋はもっときれいでしょうね。
灯篭の手前の大きな石は、「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が彫られた鐘で有名な方広寺の礎石の一つだそうです。
方広寺の鐘の銘文がきっかけで、豊臣家は徳川に滅ぼされたのでしたね。

渡り廊下の前の庭です。
灯篭の周囲は菊の模様が描かれています。
この灯篭は、徳川慶喜が泉涌寺だったかに寄進した灯篭だそうで、明治維新時、官軍が倒したこの灯篭をこちらに持ってきて立てたそうです。
菊の模様がいつから描かれるようになったかはわかりませんが、菊の中心に置かれると官軍と言えどもこれ以上の手出しはできませんものね。

本堂は龍華殿(りゅうげでん)といい、重文だそうです。
兵火や地震で何回か倒壊しているそうですが、寛永16(1646)年に後水尾(ごみずのお)上皇の援助のもとに再建されたのが今の本堂です。
後水尾上皇の中宮は、前の大河ドラマの主人公・江と徳川秀忠の娘徳川和子(東福門院和子)なんですよ。

額が歴史を感じさせますよね。


中には、今回特別公開の堂野夢酔(どうのむすい)作の襖絵「双龍風雷図」があります。
なんと写真撮影可だったので、今回はポスターの拡大版ではありません(笑)。
なんとなくユーモラスな感じのする5本爪の龍です。
「阿」と「吽」の口を開いているそうです。
「阿」の方が向かって左の襖、「吽」は向かって右の襖絵でした。
迫力はありますが、圧迫感は感じないどこか軽快な龍図ですね。
この襖の奥に御本尊の薬師三尊像が祀られています。
今回は襖絵を見せるため、少しだけ襖が開けられていました。
そこから御本尊を拝ませていただくと、どっしりと落ち着いた雰囲気の薬師如来さまですが、優しいお顔立ちをされています

十二神将が光背の一部となり、薬師如来さまを守ってらっしゃいます。
左右の日光・月光菩薩さまはそれぞれ少し外側を向いてられ、広い視野を持って私たちを守ってくださる感じがしました。
さすが写経道場らしく、本堂では写経をされている方もいらっしゃいましたよ。
渡り廊下を渡って霊明殿(れいめいでん)というお堂に行きました。
こちらは明治元年に孝明天皇や静寛院宮(和宮内親王)の援助を受けて、皇室のお位牌を祀るために造られたお堂です。
お堂の中は写真撮影不可です。

この中に特別展示の「後小松天皇肖像画」の掛軸が掛かっていたのかな。
ちょっと記憶が不鮮明で失礼。
写真がピンボケで申し訳ないですが、ポスターにあったので載せておきますね。
あと、密教の占星術の「九曜星本尊」像が見れました。
小さいですが、色鮮やかです。
生まれ年で星が決まっており、今年の運気も書いてありました。
私たちの今年の運気は白丸で良かったです(ホッ



次に書院の方に向かいました。
こちらには、四角い「迷いの窓」と丸い「悟りの窓」があります。

悟りの窓からはきれいな梅が見えましたが、写真ではちょっとわかりにくいですね。


このお寺は雲龍院というだけあり、龍図が多いです。
この他にも台所には「走り大黒天」像がありました。
こちらの大黒天像といい、この前の平等寺の大黒天像といい、私たちの知ってる大黒さまとはちょっとイメージが違いますが、いろいろな造形の大黒さまがいらっしゃるのですね。

南北朝時代から明治まで、様々な歴史が感じられる寺院でした

別格本山雲龍院
住所:京都市東山区泉涌寺山内町36 参拝時間:9時~16時半(特別公開期間以外にも拝観可)
(掛軸クイズの答え:ちご(「ち」が5つ)のさけ いつも(「も」が5つ)のみ(「の」が3つ)たや(「た」
が8つ)。「稚児の酒、いつも飲みたや」だそうです。皆さん正解されましたか?

スポンサーサイト