京の冬の旅2012④ 平等寺(因幡堂)
今日(3/11)で東日本大震災から1年です。
いまだ34万人の方が避難されている状態とのことで胸が痛みます。
がれきの処理が、引き受ける側の自治体の住民の反対によりなかなか進まず、復興の妨げになっていると聞きます。
私たちに今何ができるのかを考えると、がれきの処理を自分たちの住む自治体が引き受けることを受け入れることで、復興の協力ができるのではないかと思います。
受け入れにいろいろ不安も感じますが、こんなに辛い思いをされている東北の方々の負担を少しでも減らすことが同じ日本人としての道義ではないでしょうか。
ということで、松井さん、橋下さん、しっかりお願いしますよ。
現在、自由に出かけられる状況にあることに感謝しつつ、今日も京都に行ってきました。
今回紹介するお寺は今日行ったところではありませんが、どこのお寺も今日は東日本大震災で亡くなられた方の供養をされていると思います。

今日ご紹介するのは、四条と五条の間ぐらいにある「平等寺」というお寺です。
真言宗智山派のお寺で、御本尊は薬師如来像です。

京の冬の旅では初公開だそうで、普段は外からの参拝になります。
私も以前一度参拝したことがありますが、内陣に入ってのお参りは初めてです。
こちらの縁起は、平安時代、橘行平というお公家さんが因幡(現鳥取県)の国に勅使として赴き、神事を終えて京に戻ろうとしたところ病気になり、病気平癒を祈願すると夢のお告げで「賀留津という場所の海底にある浮き木に薬師如来が宿っているので供養しなさい」と言われたので探してみると、確かに浮き木は薬師如来像だったため、因幡でお堂を建て安置して京に戻ったところ、なんとその薬師如来さまが京の行平の家まで来られて門の前に立っておられたそうです。
行平は、薬師如来さまのため自分の屋敷を改造してお堂を造ったのが、こちらの平等寺の始まりだそうです。
行平はこのお堂を「因幡堂」と名付けました。
病気は当然治癒されています。
この霊験あらたかな話は、時の帝の耳にも入り、一条天皇が信心され皇室の勅願所とされ、平清盛の娘・建礼門院徳子の夫である高倉天皇がこちらのお寺のすぐ南に住まわれ、因幡堂を勅額によって「平等寺」と命名されたそうです。
「病気平癒、一切諸願成就。疑いなし」といわれているそうです。
すごいですよね。

この有難い薬師如来さまは、善光寺の阿弥陀如来さま、京都嵯峨の清涼寺の釈迦如来さまとともに、日本三如来のお一人だそうです。
ちょっとポスターをアップにしてみました。
しっかりとした威厳のあるお姿ですね。
何度も火事にお遭いになってらっしゃるのですが、その度に無事に運び出されて現在に至っているのですが、大八車などに乗せらて運ばれることから頭に頭巾がかぶせられているそうです。
重文に指定されているので、現在は本堂ではなく耐火構造の宝物館に安置されています。
この宝物館には、御本尊のほかに、釈迦如来さまや如意輪観音さま、呉織神さまや漢織神さまの像もありました。
呉織神さまや漢織神さまって、この辺りでは織物か養蚕が盛んだったのかしら?
本堂の方には、日光・月光菩薩さま、十二神将や不動明王さま、忿怒相の大黒天さまの像が祀られていました。
こちらは密教系のお寺なので、忿怒相の大黒天さまの像があるのだと思います。
それと大黒さまといえば、「因幡の白兎」を思い出しますよね。
同じ因幡なので大黒さまなのかなと勝手に私は想像しています。
今回の冬の旅にこちらのお寺が選ばれたのは、高倉天皇と高倉天皇の寵愛を受けていたのに清盛によって出家させられた小督局(こごうのつぼね)に関係する品が伝わっているからです。
琴の名手であった小督局の琴や愛用した硯箱などがあったのですが、いちばんびっくりしたのは、小督局の髪を織り込んで字にした「毛髪織込光明真言」です。
これはちょっとこわかったですね。
京都の町中のお寺で、こんなに多くの仏さまがいらっしゃるとは思いませんでした。
お参りできてよかったです。
平等寺
住所:京都市下京区不明門通松原上ル因幡堂町728
特別拝観日程:'12.1.7~3.18まで 拝観時間:10時~16時 拝観料:600円
京都市観光協会 京の冬の旅非公開文化財特別公開
いまだ34万人の方が避難されている状態とのことで胸が痛みます。
がれきの処理が、引き受ける側の自治体の住民の反対によりなかなか進まず、復興の妨げになっていると聞きます。
私たちに今何ができるのかを考えると、がれきの処理を自分たちの住む自治体が引き受けることを受け入れることで、復興の協力ができるのではないかと思います。
受け入れにいろいろ不安も感じますが、こんなに辛い思いをされている東北の方々の負担を少しでも減らすことが同じ日本人としての道義ではないでしょうか。
ということで、松井さん、橋下さん、しっかりお願いしますよ。
現在、自由に出かけられる状況にあることに感謝しつつ、今日も京都に行ってきました。
今回紹介するお寺は今日行ったところではありませんが、どこのお寺も今日は東日本大震災で亡くなられた方の供養をされていると思います。

今日ご紹介するのは、四条と五条の間ぐらいにある「平等寺」というお寺です。
真言宗智山派のお寺で、御本尊は薬師如来像です。

京の冬の旅では初公開だそうで、普段は外からの参拝になります。
私も以前一度参拝したことがありますが、内陣に入ってのお参りは初めてです。
こちらの縁起は、平安時代、橘行平というお公家さんが因幡(現鳥取県)の国に勅使として赴き、神事を終えて京に戻ろうとしたところ病気になり、病気平癒を祈願すると夢のお告げで「賀留津という場所の海底にある浮き木に薬師如来が宿っているので供養しなさい」と言われたので探してみると、確かに浮き木は薬師如来像だったため、因幡でお堂を建て安置して京に戻ったところ、なんとその薬師如来さまが京の行平の家まで来られて門の前に立っておられたそうです。
行平は、薬師如来さまのため自分の屋敷を改造してお堂を造ったのが、こちらの平等寺の始まりだそうです。
行平はこのお堂を「因幡堂」と名付けました。
病気は当然治癒されています。
この霊験あらたかな話は、時の帝の耳にも入り、一条天皇が信心され皇室の勅願所とされ、平清盛の娘・建礼門院徳子の夫である高倉天皇がこちらのお寺のすぐ南に住まわれ、因幡堂を勅額によって「平等寺」と命名されたそうです。
「病気平癒、一切諸願成就。疑いなし」といわれているそうです。
すごいですよね。

この有難い薬師如来さまは、善光寺の阿弥陀如来さま、京都嵯峨の清涼寺の釈迦如来さまとともに、日本三如来のお一人だそうです。
ちょっとポスターをアップにしてみました。
しっかりとした威厳のあるお姿ですね。
何度も火事にお遭いになってらっしゃるのですが、その度に無事に運び出されて現在に至っているのですが、大八車などに乗せらて運ばれることから頭に頭巾がかぶせられているそうです。
重文に指定されているので、現在は本堂ではなく耐火構造の宝物館に安置されています。
この宝物館には、御本尊のほかに、釈迦如来さまや如意輪観音さま、呉織神さまや漢織神さまの像もありました。
呉織神さまや漢織神さまって、この辺りでは織物か養蚕が盛んだったのかしら?
本堂の方には、日光・月光菩薩さま、十二神将や不動明王さま、忿怒相の大黒天さまの像が祀られていました。
こちらは密教系のお寺なので、忿怒相の大黒天さまの像があるのだと思います。
それと大黒さまといえば、「因幡の白兎」を思い出しますよね。
同じ因幡なので大黒さまなのかなと勝手に私は想像しています。
今回の冬の旅にこちらのお寺が選ばれたのは、高倉天皇と高倉天皇の寵愛を受けていたのに清盛によって出家させられた小督局(こごうのつぼね)に関係する品が伝わっているからです。
琴の名手であった小督局の琴や愛用した硯箱などがあったのですが、いちばんびっくりしたのは、小督局の髪を織り込んで字にした「毛髪織込光明真言」です。
これはちょっとこわかったですね。
京都の町中のお寺で、こんなに多くの仏さまがいらっしゃるとは思いませんでした。
お参りできてよかったです。
平等寺
住所:京都市下京区不明門通松原上ル因幡堂町728
特別拝観日程:'12.1.7~3.18まで 拝観時間:10時~16時 拝観料:600円
京都市観光協会 京の冬の旅非公開文化財特別公開
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