伊丹にモアイ!? &西国街道

昆陽(こや)のニルヴァーナさんから豊中に自転車で帰る道、大きな道路を避けようとして住宅街に入ると、そこは西国街道だったみたいです。
稲野小学校という学校の校門の辺りに石碑がありました。
西国街道は、京都から下関までを結ぶ江戸時代の街道の1つです。
西国街道の中でも京都から西宮までを「山崎道」と呼び、山崎宿(大山崎町・島本町)・芥川宿(高槻市)・郡山宿(茨木市)・瀬川宿(箕面市)・昆陽宿(伊丹市)・西宮宿(西宮市)が設けられていたそうです。
石碑によると、ここは「昆陽宿」だったみたいです。
西国街道は、当時よく使われていた賑やかな街道だったらしく、松尾芭蕉や伊能忠敬もこの道を通ったそうです。
この道は、律令時代に整備された大路と一致するらしく、平安時代の歌人・能因法師もこの辺りを通ったためか、昆陽を詠んだ歌碑が残っています。

「葦の屋のこやのわたりに日はくれぬいづちゆくらん駒に任せて」
(芦で屋根をふいた古屋(昆陽)のあたりで日はすっかり暮れてしまった。これからどこへ行くのだろうか、馬の進むに任せて)
う~ん、和歌などは難しい

詠み手の状況がわからないと、これが希望に満ちたものなのか、それとも寂しい心情を詠んだのかわかりません。
詠み手の状況を無視して、自分がこの和歌を読んでどう感じるかも、その時の気分によって変わりそうです。
明日に希望をもって詠んだ歌であって欲しいなと思いながら能因法師に別れを告げて、先に進みました


快調に自転車を走らせていると、夫が突然「モアイがいてる!」と言います。
モアイ?何を言うてんの?と思いながらも、自転車を止めていそいそとバックしてみると、なんと本当にモアイがいるではないですか


そこは公園になっており、ちょっと面白そうなのでモアイを見に入っていくと、今度はミニストーンヘンジが(笑)。
いったいここはなんなんだろう?と思って周囲を見渡すと、案内板がありました。
ここは、「西桑津公園」といい、神津小学校の移転跡地にできた公園だそうで、子どもたちに夢とロマンを与えようと古代の遺跡の中から、宇宙を連想させるものを集めたそうです。
それで、ストーンヘンジなのですね


ニャンコさんがいました

大地をしっかり踏ん張り、目を見開いてます。
さすが西桑津公園のニャンコさん、宇宙の神秘を体得したのかもしれません

近くには「こども文化科学館」があり、プラネタリウムもあるみたいです。
なかなか楽しそうな公園でした

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