京都 本坊妙法院門跡
第46回京都非公開文化財の特別公開のお寺をもう一つ行ってきました。

本坊妙法院門跡です。
こちらのお寺は三十三間堂の本坊で、場所も三十三間堂から近いところにあります(智積院のお隣さん)。
妙法院は、比叡山の西塔に所在した「本覚院」が妙法院の起源とされています。
初代門主は伝教大師最澄とされているため、開基は最澄と伝えられています。
宗派は天台宗、御本尊は普賢菩薩さまです。
妙法院は、後白河法皇の時代に洛中に移転し、近世初期に現在地である法住寺殿跡地に移転したそうです。
法住寺殿は、後白河法皇が譲位後の居場所として造られた建物で、後白河法皇はここに住まわれて院政を行い、三十三間堂を建立し、新日吉社(いまひえしゃ)を勧請したそうです。
その新日吉社の初代別当が妙法院の昌雲という僧です。
この僧は天台座主の快修の甥で、後白河法皇の護持僧を務めるぐらい後白河法皇の信頼が篤かったようで、妙法院の門主系譜では最澄を初代として、13代が快修、15代が後白河法皇(法名は行真)、16代が昌雲となっています。
18代門主として尊性法親王(後高倉院皇子)が入寺してからは門跡寺院としての地位が確立し、近世末期に至るまで歴代門主の大部分が法親王(皇族で出家後に親王宣下を受けた者を指す)です。
近世の妙法院は、方広寺、蓮華王院(三十三間堂)、新日吉社を兼帯する大寺院だったようです。
青蓮院、三千院とともに「天台三門跡」と称される所以でしょうね。
普段は非公開なのですが、一度御朱印をもらいに行ったことがあり、その時建物の前庭の白砂が清々しいほど美しく、お寺の方の対応も上品ですごく親切だったので、機会があれば絶対中にも入ってみたいと思っていたのです。

入口で拝観料800円を支払い、中に入らせていただきました('10.11.3~11.14まで)。
中に入ると、お庭を含めて全て写真撮影禁止になっていますので写真はありませんが、いや~、このお寺、スゴイ!
何がすごいかって、全てがすごいとしかいいようがありません。
仏さまも、建物自体も、建物内部の襖絵なども、寺宝も全てが豪華でありながら華美ではなく、抑制の効いた凛とした気高さを湛えています。
建物は、玄関を入って左手の庫裏(国宝)からの見学になります。
この庫裏は、秀吉が父母や先祖の供養をするため、日本仏教の八宗(天台、真言、律、禅、浄土、日蓮、時、一向)の僧1000人を集めて「千僧供養」を行った際、千人分の食事を準備した台所とされ、かなり広く、天井も高さ18mの吹き抜けです。
京都三大庫裏(二条城、大徳寺)の庫裏の一つで、庫裏として国宝指定を受けているのは、ここと宮島の瑞厳寺のみだそうです。
ここの庫裏は、木の組み方が豪快です。
行かれた方は、きっと「わぁ!」と思われると思いますよ
右手は宸殿になっています。
幕末、三条実美公を始めとする七卿がここで密議を行い、「七卿落ち」の舞台となった場所です。
七卿落ちといっても、決して隠れてこそこそ京を離れたのではく、大警備のもと離れたということが描かれた絵がありました。
境内奥には、大書院、白書院、護摩堂などがありますが、ここの障壁画は、狩野永徳や円山応挙、呉春など大御所揃いで、見応えがありますよ
応挙の「波濤図屏風」は、白地に波が描かれた絵なのですが、あっさりさっぱり描かれているのですが、その静かな光景に惹かれました
永徳は豪華で豪快です
大書院の建物は、東福門院の旧殿を移築したもので、前庭は桃山城の円庭を模したもので、池はひょうたんの形でした。
やはり秀吉といえば、千成ひょうたんですものね(笑)。
宸殿があるので、本堂は少し離れたところにありましたが、こちらの御本尊の普賢菩薩さま、若く、穏やかな表情をなさっていて、美しいです!
口元は少し赤みも残っているのですよ。
静かな佇まいに思わず合掌したくなります
護摩堂にいらっしゃっる不動明王さま、すごい忿怒相をされています。
天台宗最古の不動明王像といわれているそうで、目をかっと見開いて、歯をむき出しにして、左足のかかとが少し浮き、今にも前に進まれそうな感じです。
護摩堂にあったのかどうかは忘れましたが、掛軸のお不動さまも、すごい勢いの迦楼羅焔をまとってらっしゃいました。
あまりに炎がすごいので、いつもは両脇にいる矜羯羅童子と制多迦童子が火を除けて、片方にかたまって立っていました(笑)。
平安時代の不動三尊像の迦楼羅焔も風にたなびいて、火が飛び散りそうです(笑)。
どのお不動さまも大迫力でしたよ
寺宝は、ポルトガル国印度副王信書(国宝)、秋草蒔絵文台(重文)、漆蒔絵絵椀など変ったものや豪華なもの多かったです。
ポルトガルからの信書は、ゴア総督から秀吉に当てた羊皮紙に書かれた信書で、秀吉の家紋の五七の桐の上には王冠が描かれてました。
相手が気を遣っていることがわかりますね。
どこを見ても見応えがあり、今回拝観できて良かったです

外に出て庫裏を見てみると、上の方に煙を逃がすところがありました。
千人僧供養のときは、あそこから煙がモクモクでたのでしょうね(笑)。
今回じっくり見学させていただきましたが、機会があればまた是非訪れたいと思うようなお寺でした。
良かったです。オススメですよ
妙法院
住所:京都市東山区妙法院前側町447
平成22年度の拝観日程:'10.11.3~11.14 拝観時間:9時~16時

本坊妙法院門跡です。
こちらのお寺は三十三間堂の本坊で、場所も三十三間堂から近いところにあります(智積院のお隣さん)。
妙法院は、比叡山の西塔に所在した「本覚院」が妙法院の起源とされています。
初代門主は伝教大師最澄とされているため、開基は最澄と伝えられています。
宗派は天台宗、御本尊は普賢菩薩さまです。

妙法院は、後白河法皇の時代に洛中に移転し、近世初期に現在地である法住寺殿跡地に移転したそうです。
法住寺殿は、後白河法皇が譲位後の居場所として造られた建物で、後白河法皇はここに住まわれて院政を行い、三十三間堂を建立し、新日吉社(いまひえしゃ)を勧請したそうです。
その新日吉社の初代別当が妙法院の昌雲という僧です。
この僧は天台座主の快修の甥で、後白河法皇の護持僧を務めるぐらい後白河法皇の信頼が篤かったようで、妙法院の門主系譜では最澄を初代として、13代が快修、15代が後白河法皇(法名は行真)、16代が昌雲となっています。
18代門主として尊性法親王(後高倉院皇子)が入寺してからは門跡寺院としての地位が確立し、近世末期に至るまで歴代門主の大部分が法親王(皇族で出家後に親王宣下を受けた者を指す)です。
近世の妙法院は、方広寺、蓮華王院(三十三間堂)、新日吉社を兼帯する大寺院だったようです。
青蓮院、三千院とともに「天台三門跡」と称される所以でしょうね。
普段は非公開なのですが、一度御朱印をもらいに行ったことがあり、その時建物の前庭の白砂が清々しいほど美しく、お寺の方の対応も上品ですごく親切だったので、機会があれば絶対中にも入ってみたいと思っていたのです。


入口で拝観料800円を支払い、中に入らせていただきました('10.11.3~11.14まで)。
中に入ると、お庭を含めて全て写真撮影禁止になっていますので写真はありませんが、いや~、このお寺、スゴイ!
何がすごいかって、全てがすごいとしかいいようがありません。
仏さまも、建物自体も、建物内部の襖絵なども、寺宝も全てが豪華でありながら華美ではなく、抑制の効いた凛とした気高さを湛えています。
建物は、玄関を入って左手の庫裏(国宝)からの見学になります。
この庫裏は、秀吉が父母や先祖の供養をするため、日本仏教の八宗(天台、真言、律、禅、浄土、日蓮、時、一向)の僧1000人を集めて「千僧供養」を行った際、千人分の食事を準備した台所とされ、かなり広く、天井も高さ18mの吹き抜けです。
京都三大庫裏(二条城、大徳寺)の庫裏の一つで、庫裏として国宝指定を受けているのは、ここと宮島の瑞厳寺のみだそうです。
ここの庫裏は、木の組み方が豪快です。
行かれた方は、きっと「わぁ!」と思われると思いますよ

右手は宸殿になっています。
幕末、三条実美公を始めとする七卿がここで密議を行い、「七卿落ち」の舞台となった場所です。
七卿落ちといっても、決して隠れてこそこそ京を離れたのではく、大警備のもと離れたということが描かれた絵がありました。
境内奥には、大書院、白書院、護摩堂などがありますが、ここの障壁画は、狩野永徳や円山応挙、呉春など大御所揃いで、見応えがありますよ

応挙の「波濤図屏風」は、白地に波が描かれた絵なのですが、あっさりさっぱり描かれているのですが、その静かな光景に惹かれました

永徳は豪華で豪快です

大書院の建物は、東福門院の旧殿を移築したもので、前庭は桃山城の円庭を模したもので、池はひょうたんの形でした。
やはり秀吉といえば、千成ひょうたんですものね(笑)。
宸殿があるので、本堂は少し離れたところにありましたが、こちらの御本尊の普賢菩薩さま、若く、穏やかな表情をなさっていて、美しいです!
口元は少し赤みも残っているのですよ。
静かな佇まいに思わず合掌したくなります

護摩堂にいらっしゃっる不動明王さま、すごい忿怒相をされています。
天台宗最古の不動明王像といわれているそうで、目をかっと見開いて、歯をむき出しにして、左足のかかとが少し浮き、今にも前に進まれそうな感じです。
護摩堂にあったのかどうかは忘れましたが、掛軸のお不動さまも、すごい勢いの迦楼羅焔をまとってらっしゃいました。
あまりに炎がすごいので、いつもは両脇にいる矜羯羅童子と制多迦童子が火を除けて、片方にかたまって立っていました(笑)。
平安時代の不動三尊像の迦楼羅焔も風にたなびいて、火が飛び散りそうです(笑)。
どのお不動さまも大迫力でしたよ

寺宝は、ポルトガル国印度副王信書(国宝)、秋草蒔絵文台(重文)、漆蒔絵絵椀など変ったものや豪華なもの多かったです。
ポルトガルからの信書は、ゴア総督から秀吉に当てた羊皮紙に書かれた信書で、秀吉の家紋の五七の桐の上には王冠が描かれてました。
相手が気を遣っていることがわかりますね。
どこを見ても見応えがあり、今回拝観できて良かったです


外に出て庫裏を見てみると、上の方に煙を逃がすところがありました。
千人僧供養のときは、あそこから煙がモクモクでたのでしょうね(笑)。
今回じっくり見学させていただきましたが、機会があればまた是非訪れたいと思うようなお寺でした。
良かったです。オススメですよ

妙法院
住所:京都市東山区妙法院前側町447
平成22年度の拝観日程:'10.11.3~11.14 拝観時間:9時~16時
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